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コラム

第188回

「江副浩正の経営」

3月16日グランドプリンスホテル新高輪で、リクルート創業者の江副さんのお別れ会が行われました。2,000人を超えるリクルートのOB・OGが、日本全国からお別れ会に集いました。

リクルート創業の頃、江副さんと仕事をしていた80歳近い女性を始め、多くのOBの皆さんと久しぶりに再会し、江副さんの語ってきた言葉が蘇ってきました。

江副さんの14年の長きに亘ったリクルート事件の公判判決が確定した後、経営者の集う会で、「リクルートのDNA」というテーマで講演をしていただいたことがありました。公の席での最後の講演となった江副さんの語る「江副経営」は、次のような内容でした。

・「今、社会に提供されていないもので、社会が求めているものは何か」ということをずっと考え続けてきた。ニーズを先取りし、お客様を創り、世の中が変わる仕事を求めた。
その結果、それまでなかった新しい求人情報誌や住宅情報誌を提供することで、社会、ひいては産業構造を変革する仕事に繋がったと思う。メンバー達の自分の仕事が、世の為人の為になっているという実感によって、人は働く喜びがふつふつと湧いてくることを知った。このことはいつの時代も変わらない。

・「わからないことはお客様に聞く!」このことを、経営に反映させた。

・ 情報を流通させることが業界を制すると考え、コンビニに、100円の本なら販売手数料を90円払い、徹底してリクルートの情報誌を並べていただいた。

・「我々のあとに続く人は我々より優秀でなければならない」というモットーを掲げ、採用は経営のもっとも重要な要素と捉え、起業家精神旺盛な人材をリクルートに集めた。
数千人のアルバイトの中から社員に登用した人材は優秀であり、今でいうインターンは40年前にやっていた。女性を採用する際は、必ず女性が面接し、若い人を採用する際は、1~3歳年上の若い人が、何度も会って選考した。
やる気やリーダーシップのある起業家精神旺盛な人を、SPIを使ってセグメントした。
外国人やヘトロジニアス(個性的)人材をできる限り採用し、多くのフリーランサーに仕事を委託し、リクルートの仕事をしていただき、外との垣根を低くした。 

・ 自分はリーダーシップが弱いので、事業部制を取り入れ多くのプロフィットセンターを社内に創り、社員に経営の機会を与えた。今でいうカンパニー制の導入だ。会社の中に会社を数多くつくり、別会社にもした。社内に多くの起業家をつくり、その人たちが毎年努力と改善を重ね続けたことが、リクルートとグループが高収益会社になったひとつの要因と思う。

・ 未来は、メンバー達が築いていく。ハイスピードで変化していく社会のニーズを、フレッシュな感性で感じ取り、新しいビジネスにつなげていく為に、社員から新規事業の提案が上がるリングという仕組みを創った。リクルート内での起業家を発掘し「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」と語りかけ、年間300件を超える提案から2~3件選び、新しい事業にチャレンジする機会を創った。今では、ここから生まれた事業提案が成長事業となっている。

・ 自己申告制度を取り入れ、上司とうまくいかない弊害をなくした。相性がうまく合う様にすれば、人は生き生きと働き、大きな成果が上がる。

・ 誰をどの仕事に配置するかの人事を徹底し、機械にできることは、極力機械にふった。

・ 海外旅行や社内のキックオフのイベント・お祭りをよくやった。

・ 社内報やビデオをはじめ、社内情報の共有化を徹底し、情報共同体組織に努めた。

・ 社員持ち株制度を取り入れ、今では、ストックホルダーとして、社員持ち株会が筆頭株主となった。

・ デザインは、人を魅きつける大きな力だ。デザイナーの亀倉雄策さんを経営陣に迎え、本や、ビルのブランディングに注力した。

・ 脅威と感じるほどの事態のなかに、隠された発展の機会があると捉え、自分が代表の25年間チャレンジし続けてきた。

稀代の経営者江副さんが、精魂込めて育てたリクルートの情報ビジネスは、日本の産業構造を変える原動力となり、その後、事業承継はスムーズにいき、現在、リクルートグループの売上は一兆円規模となっています。

そして、リクルートを離れたメンバー達も、さまざま分野で才能を開花させ活躍しています。
江副さんは、晩年、日本が繁栄してゆくには、起業社会となることだと語っていました。江副さんの残したDNAと起業家精神が、ベンチャー企業の勃興の火種になることを祈念します。

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