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コラム

第104回

「もう一つ、さらに」

人間の欲には限界がない。

その際限なく湧き上がる欲求を解決する為に、各方面の探究者の 方々が人生をかけて、研究開発に力を注いでくださっている。おかげさまで、何の努力もしていない凡庸な私も、日々快適に過ごせる便利なグッズやサービスを活用させて頂くことができている。

食に関しても、年々多種多様な店舗が出没し、その店舗の内容や評判すらも検索できるサービスまであるので、大満足の日々である。

ところが、なんと、今や食事だけでないという飲食店が増え始めているのだ。食事が美味しいのは当たり前で、その上にというのである。

ネット対応は当たり前で、仕事がしやすい、勉強がしやすいスペースであることとか、なにか、もう一つの要素があることが求められているそうだ。

食事処でなく、家でもなく、仕事場でもなく、学校でもないもう一つの居場所として。ライブハウスやエンタテイメント系の喫茶とか、楽しむことが目的でない、あくまでも自分の居場所だという。

食事しながら仕事を、あるいは勉強を、仕事場でもなく家でもないところでやらなければならないほど時間がないのか、そんなに忙しいのか、そんなに職場や家庭の環境が悪いのか等と疑問に思ってはいけない。必要に迫られての欲求以上の、それだけじゃない、もう一つが求められる時代になったのだと気が付いた。

考えてみたら電話だったものが財布だしカメラだしテレビだしラジオだし…。つまり、なんでも、これでもか機能てんこもり。人間の欲求は限度がないのだとつくづく思う。

食事はもとより、新しい文房具が買えたり使えたり、体にいいジュースを飲んで語学の勉強や仕事ができたり、手芸を習いながら美味いコーヒーが飲めたりとか。お茶飲んで仮眠もできるとか。塾だけど保育もするとか。挙げればきりがない。

店舗だけでなく、あらゆる事業が本業以外の新規参入事業を試みだしている。そこで、新たな多角経営化のはじまりかと、改めて思い起こした。

これまでは、成功している企業もないわけではないが、多角経営は難しいといわれている。志半ばで頓挫した企業を身近で捉えていた経験から、多角経営が失敗する要因の一つに、人の満足という際限ない欲求に応えようと「出来る事」以上を目指してしまう事にある気がしている。(ここでいう人とは、その企業にとってのすべての利害関係者である。)

何か新しい事、なにか別な事と考える時、人間の欲求に対して、人、モノ、金のバランスをとらえてこそ「出来る事」になることを忘れてはいけない。全ての人に満足を与える事は誰の満足も得られないに等しいかもしれないではないか。

物不足や情報不足で必要が欲求だった時代が過ぎ、「さらに」が求められる時代だからこそ、気を引き締めて「出来る事」で身近な問題から解決してほしいと思っている。

もちろん、出来る事が充実すれば、その先、もっと先へ行けるのだから。

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