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コラム

第155回

「女性の品格」

少し前にブームになった書籍だ。当時は、品格を持つ人になりたいと思いつつも、付け焼刃はすぐにメッキがはがれるからと、捨て鉢ぎみに読まなかったのだが。

なんと、私の考えを変える日が来た。『女性の品格』を、生で感じてしまったからである。

それは、知人主催の宴の時。素敵な年配女性が、照度を落とした会場で優雅な雰囲気でくつろがれていた。シックで仕立てのいいスーツ、ネックレスもシンプルだけどゴージャスなデザインの物をさりげなく身に着けていらして、姿勢が良く、手の動きも美しく。話しかけると、なによりも言葉遣いが…。何気ない日常会話なのに、決して気取ったところは無いのに気持ちがいいのである。

要するに美しい、しかもわかりやすい日本語を話されている事に気が付いた。(ああ、こういうことか。これがなにより、私が品格を持てない最大の理由なんだわ)と心の中で反省をしつつも、今更無理だと潔くあきらめ、地のままでおしゃべりと食事を続けているときに、またもや衝撃がぁ…。

いつのまにか、その女性は、綺麗に食事が終わっているのである。キレーに無い。ひさしぶりに、食事終わりの綺麗な器を見たのである。

食べづらいはずの料理も、手に持つことも無しに…。えっ?いつ?いつ食べた?いや召し上がった?と混乱しながら、そういえば、品格は食事の仕方になにより現れる事も思い出した。

また、話す声も、笑う声も、丁度いい加減の音量で、暑くなった時のさりげない仕草も、帰り際の挨拶の仕方も、どこも無駄なく颯爽として、まったくカッコいい女性であったのだ。

代々続く家柄で育たれて、責任ある立場で仕事を続けられていることもあると思うが、ともかくも、女性の品格をまんま、ここぞと見せて頂いた。

そのあまりの格好良さに、品格への憧れが再び湧いたのである。といっても、品格を持っていれば、お金持ちになるとか、恋愛が成就するとか、試験に受かるとか、ずっと健康でいるとか等々、必ず思うように幸福になれるという事ではないくらいはわかっている。

しかし、品格を持つか持たないかでは、心の強さが違うのではないだろうか。人間の一番の心の弱さは、ひがみであると私は思っている。

僻みほど、人をゆがめ、貶める心情は無い。

僻みは、嫉妬や恨みや妬みや猜疑心を生む。

品格のある犯罪者や悪者など、空想の中でしかありえない。人の人生の中でこんなに余分な感情はないのだ。そして、品格は、その僻みを消す効果がある気がしてきた。体はいつか老いるし、朽ちるが、精神は成長させることができる。子供から、大人、そして責任ある立場となっていくにつれ、品格溢れる精神は必要である。

そしてなにより、女性が責任ある仕事を任されるようになってきた今こそ「女性の品格」を大事にして欲しいと心から思う。もちろん、私も遅まきながらも、今更だけれども、エレガントな女性を目指して、生活態度も言動も気を付けようと思っている。

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