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コラム

第22回

「株式会社オータ 太田会長」

過日、吉井と私は、株式会社オータの太田会長に、新宿で極上のお肉を御馳走になりながら、最近の企業の話や、身近な方々のエピソードで、会話を楽しんでおりました。

太田会長は、若干27歳でパチンコ業を手掛け、数々の試練を乗り越えて数千億の企業にされたパチンコ業界のオピニオンリーダーと呼ばれる方です。

創業オーナーに苦労はつきものですが、今日の成功に至るまでの兆が見えたのは、まさに、初めての店舗開店時でした。間際になって、妨害にあい、営業許可が降りず、大変な経験をされた時です。

全てを投資した店舗が、開店できなければ、なにもかも水の泡どころか負債だけが残ります。これからという時に、終わりになるとは、その時の心境を察すると私の胸まで痛くなります。ところが、この方の強みを理解できたのは、その時点での太田さんの「心境」でした。

ともかくは、具体的に弱音をはかずに動かれた事も流石ですが、議員さんから、商工会から、地元の商店街の一人一人、土下座して、何度も、何度もお願いに行かれ、いよいよ、最後の頼みの綱となった県会議員さんとの面談の前に、「よぉし、これでも、駄目なら『田中角栄』に頼みに行こう!!」と、 [本気で思われていた]という事です。

駄目になるとは考えずに、答えが出るまで、何が何でも、あきらめないできたからこそ、自分の思いを遂げてこられたのだと、確信致しました。経営も、人生も逃げたら負け、あきらめたら負けです。

そんな、太田会長に、「起業された当時、一番、要望された事はなんですか?」とお尋ねすると、「そうだな、相談相手が欲しかったなぁ、お金とか、物では無くてね」・・、私は、我が意を得たりの思いでした。インキュベーターの真髄は、起業家の事を誰よりも親身に考える相談相手ですから。

そして「実は、僕が頑張った源泉は母親なんだ。僕は感謝している。実家がとても貧乏で、お袋が必死で、頑張って、育ててくれたから、なんとしても楽をさせてやろうと思う気持ちでやってきた。金がなかったことが、返って良かったんだね」と、素敵な笑顔をみせて下さいました。

太田会長のような人格者は、環境がどうであれ、成功された方なのだと思います。あきらめずにやりぬく気概があったから、努力に迫力がついたのだとも思います。

今、お母様は90歳を超えられ、最高の介護状態のもとで幸せに暮らされているようです。会話の端々に、親を敬い、家族や社員を愛する気持ちを、感じ取ることが出来ました。

太田会長は常に、周りを援護され、パチンコ業界に激震が走った時も、自らを犠牲にされた方です。懐が広く、心温かい方で、生粋の気迫はあるので、緊張感はありますが、守られている安心感があります。

あきらめないで、やりぬくと、そこには、懐の大きさも出てくるのだと改めて気がつきました。「あきらめない自信」は、本物の経営者になるために必要な要素なのです。

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