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コラム

第101回

「ノブレス・オブリージュ」

GWに、倉敷の大原美術館を訪ねた。
展示されている作品は、モネ・ピカソ・シャガール・ユトリロ・モジリアニ・ルソー・ゴーギャン・ミレー・ミロ・セガンティーニを始め、この紙面では挙げきれない世界の巨匠と云われる画家の代表作が揃い、その凄さに圧倒された。

しかも、日本にまだ美術館などない昭和初期に、地方の小さな町に一事業家によって創られたことに驚いた。そして、この美術館を創った人物に強く興味を持った。

二十七歳の若さで、地方の小さな紡績会社を引き継ぎ、その後、クラレや、中国銀行や中国電力などを創設し、日本を代表する企業文化を持った企業グループに育てた大経営者・大原孫三郎氏である。大原さんの経歴は、学校を卒業することなく、社会起業家として、正義を追求し、「下駄と靴を同時に履こう」と試みた稀有な人間味溢れる実業家だ。

大原経営は、「人」を徹底研究し、「人事」を経営戦略のコアに、人に任せて責任を自分が取るといった経営スタイルで、ビジョンを具現化し、関西以西においての最大の事業家となった。そして、得た富を文化事業に投資し、自己の目標を達成した数少ない実業家であった。

昨今、企業の社会貢献が叫ばれ、企業文化やメセナが話題になり、社会から求められているが、それを60年も前にやっていたことになる。

大原美術館は、児島虎次郎という画学生と、大原さんとの出逢いから生まれた。大原孫三郎氏が、資金を提供し、画家児島虎次郎が自らの目で、現地で、印象派やエコールド・パリと云われていた頃の作品をダイレクトに画家達から買い集めた。

その結果、世界を代表する画家達の名画が倉敷の街に集り、倉敷=大原美術館ブランドとなった。太平洋戦争中、真珠のような世界の絵画のコレクションが収集されている倉敷の大原美術館を失うわけにはいかないとのことで、爆撃目標から外されていたという。

倉敷の街の持つ、文化性が、こういった背景から創生されてきたのだから、歴史は面白い。
新たな文化が創生される背景には、「ノブレス・オブリージュ」(富を得た者の社会文化貢献)の思想を持ったリーダーと、それを支えるチームの姿がいつも存在している。

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