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コラム

第181回

「芸術の秋」

芸術という言葉に、なにやら、特別な存在価値を持たれたことはないだろうか。私は、アーティストとか、デザイナーとかクリエイターとか呼ばれる才能を持つ方に憧れる。

なにしろ、芸術家はことごとくライフスタイルそのものも格好いい、独特なセンスで自分の周りを取り囲んでいるように見える。

なにしろ、あの方々は、無名の卵の頃から、何か知らん、独自の感性を持っている。そんじょそこらの物や、廃棄されたガラクタまで、おしゃれな雰囲気に変えることができる。

アートというのは、私の思い込みでいうと、物に命が宿る事なのだが、どうにもなりそうもない、ガラスの破片やゴムの切れ端や、布の切れ端でも、アーティストの手にかかると、手放せない宝物として命を吹き込まれる。実に羨ましい才能である。

しかし、その才能を世間一般が賞賛するまでの間は、大変な道のりを過ごしていくのも確かである。なにしろ、製作するためには、材料代が少なくても、自分の時間は絶対に必要だ。

働いて稼ぐことができないから、多くの方が資金難となる。心豊かなパトロンに恵まれない限り、自力だけでの成功は困難を極める。

なので、大抵は、生活費をきりつめるしかなく、自然と家賃や物価の安いところに、芸術家の卵たちは集まってくる。言い換えれば、低所得でも生活が可能な地域へとだ。

すると、あら、不思議。その町が、徐々におしゃれな街へと変化していくのである。古びたお店や、さびれた倉庫やビルや、舗装されない道路や、道端や、壁面が、ファッション性を持っていくのだ。こじゃれたカフェや、店舗を目当てに段々と人が集まり、話題になり始めると。商機を見逃さない、大手デベロッパーの目に留まり。マンションを建てよう!大型施設をつくろう!となって、街の再開発とやらが進むのである。

そして、高級マンションに合わせて、高級スーパー、高級レストランが徐々にできてくると周辺の地代や物価が急激に上がっていき、結果、もともとの地元生活者は、住み慣れた街を後にしていくという現象がおきる。

なんでも、ジェントリフィケーション(gentrification)とか言うらしい。

それは、海外でも同じような事が、多々起きているということなのだ。地元の方々全てにとって幸運だったかどうかは、わからないが、街の変化に芸術の魅力が関わっているのは間違いない。なんにせよ、芸術家&卵の方々の才能はすごいのである。

このご時世、人口的にその才能を創る事ができる日がくるのかもしれないが、やはりそこは、そこだけは人類の特徴として残して、いや更に成長して頂きたいものである。

それにしても、技術の進歩は留まるところを知らない。最近、驚いたのは、microsoft hologlam speaking japanese  で検索するとみれる、等身大の分身が目の前に現れ、世界数か国の言語が自分の声と言葉として話せるという技術である。

この技術が更に、進歩したら、外国語を習う必要が無いということなのかもしれないが、そこは、自分で習ってこそ、習得してこその自分だと思いたい。芸術も自分で感じてこそのものである。

街を変える力を持つ芸術の力を、なにかの形で自分の生活に取り入れるのは、いかがだろうか。より豊かな生活のために、この秋、自分の中のアートを見つけてみませんか。

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