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コラム

第86回

「次の社長になるということ」

大正デモクラシー、大正ロマン。たった15年しかなかった時代にもかかわらず何故、こんなに興味をそそる表現が残っているのだろう。

大正デモクラシーとは、大正時代の自由主義、民主主義の風潮であり、大正ロマンとは、(昭和になってからこの名称が定着したそうだが、)大衆から生まれた和洋折衷と新旧の融合による新たな芸術や流行の概念を総称している。

大正文化というのは、封建的なものが緩和され、新しい日本を民衆でつくるという気概が芽生え始めながらも、忍び寄る戦争への陰りから、将来への不安も感じていた時に生まれた文化である。

今年3月以降の天災、人災、世界的な先進国揃っての不況等、日本の若者達の将来に対しての不安は計り知れなく大きいと感じている。反面、技術の進歩は、時間や距離を越えて誰とでもつながることが通常化し、その便利さゆえに、民衆が一斉に事を起こす事が安易にできる。

現実との境を見失うような高度な映像も、人の変わりに働くロボットも、果てしない長寿を可能にする医療器具も日々進化している。技術の進歩には終わりがない。こんな希望と自由と不安が入り混じる時代背景が、大正時代を懐古したくなる由縁かもしれない。

今の日本こそが、本当の意味での民主主義、自由主義をもとに、新旧融合した、グローバル(和洋折衷)企業を創造できる良い機会なのだ。高度成長時代に培われた戦略戦術だけでは、時代に逆走していく危険性を感じている。

今の時代のリーダーに必要なのは、この新旧融合と和洋折衷の感性を持って、社員の不安を払拭しつつ、新たな日本の企業のスタイルを創りこんでいける人だと思っている。

そして、大事なことは、本人がリーダーになる気持ちでいることだ。社長というのは、誰でもなれる。ただ、なりたいから、なるということだけではなく、使命として受け継ぐ人もいる。それでも、本人が、自覚をしたらリーダーになる。

社長の仕事は、会社の意思決定の焦点、要である。会社は、社員一人一人が、力を寄せ合って事業がおこなわれる。その社員の焦点がぶれては、会社は崩壊してしまう。

だから、会社には社長が必要であり、社長の責務を外れた人がいても、会社が残れば新たな社長は必要なのだ。

そして、次の社長をやるという事は、当たり前だが、前の社長と比較される。それは、次の人の宿命だ。でも、そんな事はどうでもいいのだ。

今を動かすのは、今の人だからである。その時代にあった経営をすればいい。

私が、経営者としてだけでなく、人格者としても尊敬申し上げているツインバードの野水重勝社長が、今期、ご子息に席を引き継がれた。

現社長は、他業種で修行をされ、技術の分野でも博士号を持たれている。社内に入られてからは、一営業マンとして活躍されながら、海外事業部の立ち上げを始め、国内外のマーケティング戦略を経験された。いずれにおいても順調に功績をあげて、晴れて就任された。

その影には、ご本人は否定されると思うが、素晴らしい後継者育成の達人がいらしたように思う。緻密な戦略を豪放磊落に楽しげに遂行できる頼もしいご指南役だ。この方との出会いは、現社長に取って幸運であったはずだが、この方との連繋を生かせたのは、御本人の器量であり能力でもある。まさに新旧の融合を図られていた。

少し前に「社長になるって思われています?」と伺った時に「はい、工場の手伝いをしていた子供の時から、後を継ぐのだと思っていました。」という真っ直ぐな答えが返ってきた。

だから、彼はその為に、子供の頃から一生懸命勉強し、修行をし、あらゆる努力を惜しまず社業に邁進し、社員の気持ちを集め、功績を残し、晴れて社長として就任された。

やはり、次の社長になるためには、その気持ちと行動が必須のようだ。これからも、益々期待できる会社として、ツインバード工業を応援しつづけたいと思っている。

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