column

コラム

第89回

「強い女性の幸福論」

思い起こせば、幼少期から、か弱い女性にお目にかかったことがない。

どんなに極悪な状況下で出会った女性を回想しても、強い女性だったという結論になる。体力的にも、昔から、ガテン系の仕事で活躍する逞しい女性も珍しくないし、最近では、姥捨て山に放置された老女達までもが、サバイバルで生き残る映画もでていた。ものすごくわかる。

女性の強さは、生きる力だ。生き抜くためには、状況に応じて、いかなる犠牲も厭わない。なので、なんでも受け止めて流しきる力がある。

「悩んでも、嘆いてもどうしようもない事は笑い飛ばしておしまい。生きていれば、いいこともあるわよ。」と、これまで出会った女性達から教わった事を思い起こすとそういう結論になるのである。

たまに、何かが大きく違う方に出会う。価値が「優越感」の方。そういう人は大変だ。なにしろ、なんにでも過敏に反応するので気を遣う、疲れる。見下されるのが怖いのか、辛らつな表現で人を傷つける。刺々しく痛々しい。心配になってしまう。

女は、しなやかでいて欲しい。しなやかなものは、折れない。変幻自在である。最近、気がついたのだが、刺々しい人は、幸せになることが苦手のようだ。幸せというのは、誰かが突然プレゼントしてくれるものでなく、まずは、自分が思うことから始まる。

自分が楽しい思いをしていなければ、人に優しくなれないし、人に優しくない人は、なによりも自分に優しくできない。だから、自分を苛める。こんなはずじゃなかった。

私はこんなところにいるはずじゃなかった。と考える。親や他人を責めているようで、結局自分を責めているのだ。なんと馬鹿らしい事だろう。

幸せになる方法は、ただ一つ。
「私は、今日も、幸せに生きております。ありがとうございます。」と、毎日お日様に手を合わせていたら、3日もすればそれなりの気分になる。是非、やってみて欲しい。

今年も、世界中で、新たな難題課題が待ち構えている年になると誰もが予測している。こんな時こそ、女性の幸せ力を生かして、いい日々を暮らして頂きたいと願っている。

今を生きている奇跡に感謝して。

コラムを毎月メルマガでご購読