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コラム

第124回

「未来へ続く教育改革」

現代は、優しい時代だと思う。(優しいとは、憂う人に寄り添う人と書く。つまり思いやりのある、そして、頭もよく品があるという意味も持つ。)

日々躍進する医療技術や介護器具の発達で体の不自由さを緩和することもできるし、まだまだかもしれないが、被災地や未開発地域への支援や援助も先進国を中心に拡大している。

なによりも、人の命を大事にして、もし何かあっても、まずは命を大切に考えるべく、いろいろ開発されている。ある意味、武器も守る為でもあるのだ。

守る事を考え抜いた末の開発のおかげもあり、私たちはインターネットを活用できるようになったともいえる。

そして今、子供たちの教育課程に大きな変化が要求されている。

それはそうだ、ネットネイティブな子供たちが、旧来の教育プログラムで満足できるはずもなく、この尋常でない膨大な量の情報を、どのように活用するかという自己の確立の方が大事になってきているのだ。

暗記に関しては人工知能に勝てるはずがないのだから。人として、どのように生きるかを根本的に捉えながらも、技術の進歩に適応し、世界中の人々との交流を上手に出来る大人へ成長させるためのプログラムが各国で考案されている。

確かに、今や世界中、どこへでも行けるし、タブレット一つでどこかの誰かと会話したり情報収集したり、売買する事も可能である。出来ない事を考える方が難しい。

しかし、道具なのである。だからこそ、人が人と生きるために必要なルールや善悪の判断基準、あるいは倫理や哲学がないと軸がぶれてしまう危機を感じる。日本でも、今更ながら道徳と日本史が必須というのもうなずける話だ。

そんな教育改革の必然性を思っていたら、ふと、ある会社が浮かんでしまった。衝撃の電動車椅子の開発企業である。車椅子というより、おしゃれな移動椅子といった見た目の上に、タイヤが特殊なので多少の段差も坂道も狭い場所も指一本で自在に操れる。

モバイルで遠隔操作もできる。嘘みたいな椅子だが実在していた。95万円という値段にも、親御さんを憂いておられる紳士、淑女の方々にはお手頃だったようで、大好評であった。

どんな大手が製造したのかと社名を見たら、WHILLというベンチャー企業であった。
大手メーカーに勤める若手技術者達が、体の不自由な方の為に、身を投じて立ち上がってくれたという。でも、今時の人らしく、ネットを活用した俊敏な行動で、米国での支持も得て、国内でのパートナーも見つけて、2012年設立なのに、大量販売の日も迫ってきているという。お会いしたことはないが、きっと苦労も笑顔で吹き飛ばす爽やかな青年達であろうことは想像がつく。

いい意味で、ネット社会になってからというもの、スマートなビジネスのやり方をする逞しい若者たちが増えている。ハイテクを駆使した次世代型の漁業や農業や林業による地域活性の話題もよく聞くようになった。

資金調達の手段の一つであるクラウド型も、ネットがあればこその方法だが、やはり若者が一番活用している。今後も、教育改革によって、より多くの優秀な若者たちが続出し、こういう優しい起業家が増えて、雇用を促進してもらえる事を夢見ている。

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