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コラム

第126回

「出来る人、出来ない人」

「ああ、もう、なんで出来ないのかなぁ、何回も言ってるよねえ。無理なのかぁ」
という具合に、あの人は出来ない人だから不安という烙印を押されてしまう人と、本当にあの人は出来る人だから安心していられると多くの人に信頼される人がいる。往々にして同年代で同性と比較されるので、待遇や出世の目安にされるのは仕方がない。

ちなみに、出来る人というのは、才覚がある人の事だ。機転が効いて瞬間的に対応する能力にたけている人の事だ。知識が豊富だとか、芸術的な才能があるとか、なにかの技術がすぐれているとかではなく、突発的に降りかかる出来事に対しての対応力、生き抜く力のようなものである。

才覚とはCIM(computer integrated manufacturing)のようなもので、得た情報を駆使して最良の結果を出そうとするシステムだという女流作家の意見にもうなづける。

人間は、潜在的にそのシステムが組み込まれているという事だ。その上で、自律した精神で自立している人ということである。

そんな「出来る人」の一人で、今は和食店を経営する女性に15年ぶりに再会した。
まずは、変わらずの姿に嬉しさがこみ上げたが、個人的に深い間柄ではない。彼女が店長をされていたお店を数回利用した程度のつきあいである。

ただ、その当時から、彼女の仕事振りに幾度も感心し、かなりの好感を持っていた。徐々に記憶をたどりながら懐かしい話に花が咲いたが、あれ?あれから15年も過ぎた?えっ?60歳過ぎてお店を持った?
え?曾孫もいらっしゃる??えーーーーー。

と驚きながら、そういえば、彼女の勤め人デビューは52歳と聞いたことを思い出した。そう、彼女は52歳まで、鎌倉の邸宅で何不自由ない生活を送っていた奥様だったのだ。

突然の悲運にも負けず、近隣のブティックにアルバイトとして勤めたら、天性の才覚を発揮してあっという間に責任者になり、東京で和食店を始めるとなった時には店長として抜擢された。しかし、初年度から黒字を出し続けたにもかかわらず、またもやの転機に遭い、意を決して60歳にして独立されたのだ。経験も大事だが、なにより才覚である。

初対面の時から、類まれなる接客力と記憶力に感動を覚えていたのだが、70歳を過ぎても、その記憶力は衰えることなく、私の親族や友人の名前や職業まで覚えていた。もう、神がかりである。

開店してから13年を過ぎ、吟味された食材の料理と細やかなサービス精神は、お客様の心を掴み、常連とみえるお客様達で賑わっていた。

出来る人は、やはり、安心だ。歳を重ねるほど、その差は歴然である。取り返しがつくうちに、なるはやで出来る人になった方がいい。自らの意思で行動し、約束を守り、決して人や環境のせいにしないで生きる事だ。

そうしたら、将来は、スーパー高齢者(最近は凄い高齢者をsuper agersというらしい)になって、寿命がつきるまで、人生を楽しめますことよ。

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