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コラム

第77回

「藤田田さん」

今年2月「新規事業をやりたいので、これは、いける!と思える事業を、もってきてくれ!」と、日本マクドナルドの創業者、藤田さんから、相談を頂いた。そして、2ヵ月後、4月21日亡くなられた。

藤田さんとは、20年にわたり親しくさせて頂き、多くのことを学んだ。ハンバーガーが、日本のNo.1外食事業として、4,000億企業になったのは、「藤田田」さんがいたからに、他ならない。

藤田さんへお別れの挨拶に伺った際、藤田さんの部屋の窓際に、望遠鏡が置かれており、
時々そこから銀座中央通りを眺めながら、「どうや左側の方が、人通りが多いだろう! 店を出すならこっち側だわな!!」と、語った藤田さんの言葉が蘇った。

「日本人とは、アメリカ人とは」を、常に口にされ、未来を見据え、強烈なカリスマ性で、即断即決によってことを進めていく様は他の追従を許さない、起業家であった。あてがいの仕組みでなく、日本人を深く読み取り「マクドナルド」という日本独自の言語をはじめ、為替から、アルバイターのモチベーションまで、オリジナリティな仕組と風土を創り上げ、一人ひとりが輝く会社を築いた経営は、他国で生まれたブランド事業のインキュベーションのあり方を示してくれた。

以前、ヨドバシカメラの藤沢社長を紹介させていただいた際、「あんたの店のポイントカード!ほら(見せながら)使っているよ!!」と、極めて現場に基づいた内容の二人の会話が、止まることなく交され、個性豊かな二人の創業経営者の目線や意識が、「勝つことに執着した競争」であることを、示してくれたシーンがあった。

藤田さんは、人前で過激な発言をする方だったが、取引先に対する面倒見や社員達に対する思いやりを持った「幸せ提供」を見事に実践され、多くの人に愛された経営者でもあった。

また、藤田商店をベースに、日本マクドナルドはじめ、トイザラス、タイラック、クリスチャンディオール(元代理店)東京タワー蝋人形館、スポーツプール事業、といった多くの企業を次々に、経営する姿は、ソフトバンクの孫さんをはじめ、多くの企業家達に、影響を与えた先駆者のように思う。

関西弁交じりの各論で、早口で捲くし立てて話す藤田節が聞けなくなると思うと寂しいが、みごとなエピローグで人生を締めくくられた藤田さんから学んだことを一人でも多くの企業家達に伝えていきたい。

無量大数(藤田さんの好きな言葉)

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