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コラム

第183回

「笑顔」

昨年あたりから、若い世代の採用関係者や経営者の方々から、マイノリティーの方の採用に配慮されている話を聞くことが増えた。福利、施設構造、設備、規則、法律や習慣に関する事等々。

英語でいうと、女性はShe、男性ならHe が、ここ最近になって「彼とか彼女どっちでも」を意味する「hir」や、Theyの単数形「Ze」という呼び方がでてきたという。

米の有名大学の中には、これらの代名詞でのID登録ができるようにもなっているそうだ。 さらには、Mr(ミスター)、Ms(ミズ)、Mrs(ミセス)、Miss(ミス)などといった馴染みの呼称の他に、「Ze」、「Mx(ミクス)」なる呼び方が、辞書に新語として掲載されるようになったという。

どちらも自分のアイデンティティが男性でも女性でもないと感じていたり、性別を特定されるのを好まなかったりする人のためのジェンダーニュートラル(中性的)な方用だという。ついに、中性という新しい性別が現れたのだ。

もともと、マイノリティーな感覚を持つ人は、人間が共同生活を営むころからの存在だ。そんなに珍しくも奇異な事でもないのだから、正当に権利を主張することは当たり前だと思う。もっと昔から、中性という性別が認められていたらとも思う。

ともかくも、性別による違い等もあるだろうが、人それぞれに思考も体質も違う、だからこそ、私たち人類は、価値観の合わない人と、無理に時間を共有する必要もなく、より自分の好きな人と時間を過ごすように生きるべきなのだ。

幸せの条件は、好きな人と一緒にいること。そして、好きな仕事ができれば、より幸せな人生だ。仕事は、どんな仕事が好きなのか、どんな人が好きなのかで選ぶべきだ。

仕事に必要な知識は、特別な才能が必要な仕事でない限り、本人の努力で補える。職種なんぞ、そんなに選ぶことはない。問題は本人のやる気だけである。

こんな仕事を、こんな人とやりたいと思ったら貫けばいい。好きな会社に出会わなければ、自分でやればいい。私生活も、好きな人と、好きな形で過ごせれば、より幸せだ。

むろん、その為には、自身の努力は不可欠である。やりたいことには、やるべきことが必ずついてくる。幸せは、ぼーっとしてても来てくれない。幸せになる準備がない人には来ないのだ。

それにしても、ダイバーシティー!!と声高々に言わなくても、普通に価値観を認め合って仕事も生活もできる社会により早くなるべきだとも思う。

年寄だろうが、若かろうが、LGBTQであろうが、XYZ?であろうが、身体に支障があろうが、人間というくくりの中にいる以上、誰でも皆幸せになる権利があるし、幸せになる義務もある。

なんて事を思っている矢先に、老人の為に、終の棲家としての施設や場所を紹介する事業を行っている、若者集団のTOPの話が聞けた。彼の起業のきっかけは、福祉施設で受けた、老人達からの感謝の言葉だったそうだ。

老人に対する敬意と愛情を持った表現に、じーんと来たのは、私が既に日本国老人部に所属しているからだが、ともかくは、若い人が高齢者を大切にしてくれる事はありがたき幸せである。

そして、彼らは、LGBTの方々の職業相談も積極的にされている。ともかく、人に優しい集団のようだ。人間を大切にする人に共感して、優しい仲間が集まって仕事をされている。仕事の苦労はあっても、きっと幸せな方々の集まりで、皆笑顔で仕事されていることだろう。

「笑美面」記憶に残る、いい名前の会社だ。

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