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コラム

第340回

母と私

令和8年7月27日、母・吉井ヨシイが享年102歳で静かに永眠いたしました。
生前、多くの皆様から温かいご厚情を賜りましたこと、心より感謝申し上げます。

母は、新潟市寺山の17代続く家の長女として生まれました。戦争で家を継ぐ兄を亡くし、家を守るために婿養子を迎え、家庭を築き生涯吉井家を守って生き抜いた人生でした。
母の名前は「ヨシイ」です。
祖父が、嫁に行っても「吉井という家名を残したい」という願いを込め、苗字と同じ名前を授け、子供の子供の頃、あだ名は「苗字」と呼ばれ、学業優秀だったと聞いています。名前のとおり、母は吉井家の17代目として支え、次の世代へとつないでくれました。
父とともに大農家で野菜を育て、自らお客様に販売し、持ち前の明るさと温かな人柄で多くの方々とのご縁を育みました。近所でも誰からも親しまれ、歌や踊りなど多くの趣味を楽しみ、地域の中心にはいつも母の笑顔がありました。
三人の息子を育て、私は三男の末っ子で愛情を注いでもらいました。母は私を叱ることなく、父からは褒められた記憶はありませんが、母はいつも私を信じ、褒めて育ててくれました。
そんな母が、私が高校生の頃、一度だけ手紙で私を諭されたことがありました。当時の私の生活や進む方向に、母なりの戸惑いや不安を感じていたのだと思います。
手紙を読んだ時、母を深く心配させたことを悔い改めなければと、忘れることのできない戒めとなりました。

高校を卒業してからは、母と一緒に暮らすことはありませんでした。母は時折、孫たちに会いに東京まで来てくれ、何度か浅草へ買い物に出かけたことも、懐かしい思い出です。 私たち家族も、正月やゴールデンウィーク、お盆などには子どもたちを連れて新潟へ帰省し、母と過ごす時間を大切にしてきました。離れていても、いつも私たち家族のすぐそばにいる見守ってくる大きな存在でした。 私の子供たち二人が海外に留学した頃、母から新聞紙に包んだ輪ゴムで纏めた1万円札を貰いました。「子供たちに何かあった時に使え」と、母が野菜を売って貯めたお金だと思うと、今でもそのお金は使うことができません。
母が89歳の頃、故郷の新聞社が、私のことを10日間にわたる連載として取り上げてくれたことがありました。母はその記事を毎日読んで、「お前もいろいろ苦労したんだなぁ、毎日読むのが楽しみだ~」と、少しの親孝行でした。
私の出来事を自分のことのように喜び、信じ続けてくれた母が、私の生きる活力になっていたように思います。

母は晩年、父と穏やかで幸せな日々を過ごし、父を見送ってからも元気でしたが、1年半ほど前から、施設や病院で過ごす時間が多くなりました。兄夫婦や孫たちが病院や施設へよく足を運び、最後まで母を支えてくれました。
2026年7月27日、朝6時19分静かに息を引き取りました。享年102歳、大往生でした。

母の人生は、家を守るため父と結婚し、昭和 平成 令和で、艱難を乗り越え、102歳と7カ月の人生を懸命に生き抜きぬいた生涯でした、心から誇りに思います。
母は、どんな人にも優しく接し、相手の立場で物事を考え、自分の思いを素直に伝える人でした。その人柄ゆえに、多くの方々から慕われ、親族の中でも最も長寿を全うし、私の自慢の母でした。母が残してくれた思いや生き方を、子どもや孫、さらにその先の世代へと語り継いでいきたいと思います。
感謝  功徳無量

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