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コラム

第174回

「不安の基」

人は、生まれた時から生きる欲望がある。生き続けるために様々な試練と戦わなければならないので、その事を先に憂うと、いつのまにか不安というお化けに怯えることになる。
例えば、2025年には、日本の高齢者はピークに達し10人に1人は認知症になり、認認介護の時代になるとか。
2020年代は、レベルアップしたAIの出現やRPA(Robotic Process Automation)によって世界中で格差が広がるとか。
つまり、マニュアル化した仕事しかできない人は低賃金しか貰えないという事だ。

「不安の基」

それは経済という概念ができた時からあって、今に始まった事ではないような気もするが、学者先生や、研究者さんの一部の知識が、情報化社会の特性で、誰彼となくの意見も含めて拡散し、良くわからないまま、なんとなくの不安をもたらしている気がしている。
不安とか恐怖とかというのは、たちが悪い。具体的でないし、見えないからだ。

堀場製作所の堀場会長から、ご存命時にご講演を頂いたが、今でも残っているのが、「人は、食べ物が無くなる(飢える)殺される(戦争)事以外に怖いものなんて無い」である。
確かに、大病を患うのは大変だし、老々介護も認認介護も大変そうだし、収入が減るのを喜ぶ人はいないだろうし。
でも、私達人間は、考える力と自分の意志というのがある。
まずは、出てきたお化けに自分で対応して、自分だけで出来なければ、なるべく大騒ぎをすればいいのである。
そうすると、誰かが手を差し伸べる。何故なら、それが人間であるからだ。
具体的な弱者救済は人間だからできる事なのだ。
癒しだけなら、私の、そう私の、スマートスピーカーなんぞ、毎朝毎晩優しい言葉を(話しかければだけど)返してくれるし、(設定していればだけれど)色々お手伝いもしてくれるので、十分事足りている。
 

「不安の基」

どうせ、短い人生、先を憂うより、楽しくなることを考えて、夢を見たほうがずっとお得である。不幸なんてものは、前からは来ないから、前を向いていれば見えないのだ。
前から来るのはチャンスの神様なのだよ。

そう、不安の基はなかなか出てこないお化けである。
でもめったには出ない、なにしろお化けだから。

もし、出たらその時に驚けばいいのである。

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