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コラム

第30回

「シンガポールのアントレプレナー」

社員研修旅行のシンガポールで、「ファッションストリート、URS.inc」という会社を経営されている、吉井の前職時代の部下だったという安野新二さんとお逢いしました。

吉井曰く、安野氏は、入社の頃から「将来社長になりたい」と、口癖の様に語っており、「何をする会社の社長だ?」と聞くと「それが、わからない」と憮然として答える不思議で気になる新人だったそうです。

そして、彼が24歳の時、吉井がらみのクライアントの創業者に「社長になりたいなら、俺のところへ来い、英語が出来ないなら海外に行け、シンガポールに出先があるから、まず、そこで勉強したらどうだ」と言われ「なるほど、解りました、行きます」と素直に、躊躇もなく会社を辞め、シンガポールで経営修行に入る決断をしたのです。

そこで彼は、初めて【老舗の靴メーカー】の営業マンとしての日々を、シンガポールで過ごします。リクルートの情報誌営業をしていた人が、突然物を売り始めたわけです。

そして、商売に慣れる間もなく、本社に異変が生じ、現地の責任者が急遽、日本に戻るという緊急事態が起こってしまいます。

「それでは、シンガポールは頼みます」と、恐ろしくも唐突な要望に、戸惑いも許されない状況の中で、ともかく必死で会社を守りぬいたそうです。日々の悪戦苦闘の中で、「このままのメーカービジネスでは先が見えない、直販しかない、どうせやるなら、婦人靴を中心にするぞ」と、決意を固めました。

しかし、製造はプロでも、販売は素人、店舗出店も素人、何もかも始めてだらけでしたが、持ち前のバイタリティで乗り切り、必死で頑張ってこられました。

日本を離れ、今年で14年の歳月が流れていました。

今では、シンガポールのメインの商業施設、百貨店に16店舗を構え、隣接国にはフランチャイズ先を持ち、婦人靴とバックのトレンドを誇るSPA企業として、括弧たる地位を築いていらっしゃいます。

吉井からのいきなりの呼び出しに、快く応じてくださり、せっかくの機会なので、私と役員の片原も同席して、夕食の時間を頂くことになりました。

片原も前職が同じ会社ということで、3人の会話には時代を超えての共通言語が飛び交い、私まで懐かしい思いを共有しておりました。苦労話でも聞きだそうとしたのですが、「苦労?してないです! 好きなようにやってきましたからねぇ。うーん、特にないなぁ、しいて言えば、やはり、文化(言葉)の違いは慣れるまで時間がかかったかな~」という程度なのです。(そもそもシンガポールは、英語とシングリッシュ※シンガポール英語と各種中国語が飛び交う所です。相当、言葉や風習の違いに苦労されたはずです。)

さすが起業家魂を持ってる人は違うなぁと感心していると「ところで、インキュベーションって何をするのですか?」と聞かれたので、事業の説明をしながら「でも、結局、吉井は沢山、自分の想いを受け継ぐ人材を育てているのですよ」としますと「それなら、僕も吉井チルドレンですね。社会人デビューして、強烈な影響を受けた方ですから」と心に残る言葉をくれました。

いろいろな感動や感心と一緒に美味を堪能した後も、ホテルまで送って頂き、挨拶を終えても尚、吉井に向かって「また、何かあったらいつでも言ってください!!」と追いかけるように温い言葉をかける姿に、「14年もの間、異国で根を生やせた背景に、この心遣いと、恩や義理を忘れない姿勢があったからだ」と改めて感じることが出来ました。

U・R・S.inc.そろそろ、日本でも、名前を響かせて頂きたいです。

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