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コラム

第45回

「戦い終えても」

3年か、5年に1度くらいに、ひょっこりとお電話を頂く方がいる。浅草生まれの浅草育ち、「ちゃきちゃきの江戸っ子」の標本のようなアクティブシニア。

昭和9年生まれ、あの東京の大空襲を体験し、その後の修羅場から今日の豊かな社会になるまでの、様々な人々の生き様を見続けてこられた。いや、今とは比べ物にならない貧困と喧騒の時代を生き抜かれてきた日本男子だ。

たまに、私のような人間に会うと、頭が活性するとかで、訊ねてみえては、逆に私に勇気を与えてくださる。こんな生ぬるい時代で、なにが不幸だ、なにが苦労なもんかと、改めて思い知らされる。意味も無く、人が傷つき、殺されていく恐怖、仲良しの友達が餓死してゆく辛さ、少しの財産を争う大人を見る情けなさを、平和な時代しか知らない私には、胸を痛める事しかできない。

そのような想像を絶する日々を、逞しく生き抜いてきたK氏は、学生時代は反戦運動に力が入り、その気合と気風の事業を起こし、服飾雑貨の業界で、知名度を上げられた。数年前、価格競争の波に乗ることを拒み、事業を撤退。今は、ボランティア中心の自由な生活をされている。

もちろん、撤退という結果になるまでは、大変な努力をされていたのも知っているが、どんな時も、凹まれた様子を見たことが無い。今も、時間を無駄に過ごす事無く、自分の生まれ育った街、浅草のメンターとして、活躍されている。

だから、元気を頂く。K氏の言葉は血になり、肉になる気がする。人間も、甘えが広がる愚かな動物である、何もしなくても食べられる状態で、生きぬくエネルギーが生まれるとは思えない。

しかし、今の日本は平和で豊かである。ハングリーになれという方が難しいと思う。それでも、どんなに平和でも、人は生まれたからには、必ず死が訪れる。死ぬ前に「やあ、良く頑張った」と自分を褒められる毎日を過ごせる事が、生きた証ではないだろうか。

K氏は、どんな時も自分に立ちはだかる壁を乗り越えて、素敵な人生を歩まれている。「少子高齢化ね、そう。もう、しょうがないやね、いねえもんは。まあ、50ったって若いんだから、じゃんじゃん働いてもらおう」とおっしゃるので、「今や寿命が平均100歳になっていく時代です。85歳くらいまでは現役で働く時代になりそうです」と申し上げたら「いやぁ、まいったね。そりゃ、そうだ、まだまだだなぁ」と笑いながら帰って行かれた。

こんな元気な方ばかりの日本の社会を作れたら、どんなに楽しい社会になるだろう。

社員の教育を、外国のカッコイイ教育方法に頼る前に、日本の経済復興の現場を生き抜いたこういう先輩方と真剣に語りあう機会があると、魂の目線が追加されて、より頼もしい人材が育つのではないだろうか。今の日本は、海外の経済社会に見放されつつあると聞く。根底にあるものは、日本人らしさが欠けてきた事にもあると思う。

日本を愛し、どんな時もへこたれずに、前向きに、ひたむきに、希望を捨てずに頑張るのが日本人の精神ではないかとK氏から教わっている気がしている。

25日、三浦雄一郎氏(75歳)がエベレスト登頂に成功された。やはり、甘えた事を言っていられない。

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