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コラム

第76回

「珈琲を飲みに行きましょう!」

日本において[Coffee]なるものは、1770年頃(8代将軍徳川吉宗の時代)長崎の出島にて「珈琲」という漢字がつき、異国人を真似て一部の日本人達が、苦味を堪えて不思議な気持ちで飲んでいたというあたりが、珈琲と日本人の始まりのようだ。

庶民に親しまれるようになったのは1887年(明治21年)。現在の上野にあたる下谷黒門町にできた『可否茶館』の創業者、鄭永慶(ていえいけい)氏の苦労とチャレンジャー精神のおかげと知った。

なにしろ、日本で始めての、珈琲が飲める憩いのお店を、明治の時代に創ったというのが驚きである。当時としては斬新な発想が裏目に出て、時期尚早となり、学者肌で経営者向きでなかった事もあったのか、4年で閉店してしまったが、後人に繋いだ功績は大きく、その後、銀座、浅草、上野、神田等、文士や学者や芸術家が集う場所として、珈琲を飲めるお店が増えていく。

知識人は、珈琲のカフェインを好むという事でもなく、明治時代は、文明開化という大きな変革の時代である、西洋文化を前向きな思考で取り入れていく姿勢が庶民にも強かったのだろう。なんとはなく、日本そのものが、新しい物に触れ、ウキウキ、わくわくしている様子が伝わってくる。

一般的には、珈琲をそのまま飲むというより、国民の体質改善を目的に政府に奨励されていた牛乳を飲みやすくする為に、珈琲の香りを入れて飲む人が多かったらしい。

そういえば、今のカフェ形態は、ミルクホールといっていた。ミルクが主役だったから、ミルクホールだったのだろう。

今や、日常で当たり前のような飲料である珈琲は、完全に日本人の生活に密着している。家でも外でも会社でも、あらゆるタイプのコーヒーがある。

ところが、不思議なもので、「珈琲を飲みに行こう!」と思うと、時間がゆっくり流れる専門店に行きたくなる。時間がないときでも、「珈琲を飲もう!」と思った瞬間、少しでも美味しいお店を探す。やはり、珍重されていた頃の名残なのかもしれない。

そうはいっても、カフェを利用する動機は色々だ。喫煙を目的としたり、打ち合わせや待ち合わせができればいいので、味はどうでもという事もある。

そのせいかどうか、歩けばすぐに珈琲が飲める程、近隣で多くの業態に遭遇する。そんな珈琲が飲めるお店が乱立するこの激しい競争市場の中、ZOKA(ゾッカ)という、シアトルのバリスタ養成や、自家製焙煎で有名なブランドが静かに3年ほど前から参入している。

このブランドもまた、1997年創業でありながら、独特な落ち着きと誇りを持っている。日本にいる米国人や、珈琲通の間では評判だ。

経営しているのは、日本最大手のパチンコチェーン、マルハンのフード部門を請け負うマルハンダイニングだ。代表の佐谷さんは、一昨年就任されたばかりだが、マルハンの歴史、風土を理解し、実績も積まれて将来を有望視されている、若くて力強い経営者だ。

会社の業態は、ラーメン、カフェ、カレー、食事処、ドーナッツと多様であるが、ZOKA珈琲に関しては、マルハン経営陣の人間力で提携を可能にした貴重なブランドを引き継がれている。

競争の激しい日本でZOKAのファンになって頂くために最も大事な要素は、珈琲豆を焙煎したら、時間をおかずに抽出する事だと佐谷氏は考えた。となると、鮮度を保つためには、国内で焙煎することが必須である。

これが本来であれば技術面や、企業機密の部分で簡単にはいかないが、マルハンダイニングはこれを克服した。これで、本当にアメリカで賞賛されている珈琲が、同じように飲める事になったわけである。

これは、見逃せない。珈琲通の米国人が認める本物の珈琲は、是非飲みたい。友達にも飲んで欲しい。多くの方にも沢山の美味しいお店がある中、選択の一つに是非加えて頂ければと思う。

偶然にも、先の『可否茶館』の創業者は、数々の事情も乗り越え、再起をかけてシアトルに渡った。残念な事にその地で病に倒れてしまったが、数多くの外国でシアトルを選んだ珈琲店を始めて創った日本人がいて、そのシアトル発祥の本格的な珈琲が、今、こうやって日本に渡ってきた事にも強い縁を感じている。

「珈琲を飲みに行こう!!」と思われた時は、ZOKAの珈琲も選択肢に入れて頂きたい。本物の味が楽しめることは間違いないのだから。

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