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コラム

第107回

「侍」

いつの頃からか、侍に憧れるようになった。人は自分にないものを求めるというので、私には絶対に無い質実剛健の侍精神を崇拝しているのかもしれない。

世界に向けて何かを発信する時も侍という名をつけるではないか。私に限らず、多くの人は、侍を特別に思っているはずだ。侍を武士と捉えると、武士たるものは、人を頼らない。我慢強く、無駄話はしない。贅沢は好まない。信じた人の為に命をかける、常に真摯に学ぶ。女性に優しく(武士の心得には、女性に暴力を振るうのは恥と記されている)守り抜く事を美徳としていた。

そして、侍の妻となった女性達も大和撫子と尊ばれる精神で尽くしていた。しとやかで、強くて、健気で、賢くて、旦那様を立てて家内を納めていた、実に素晴らしい女性達である、凛としている姿が浮かぶはずだ。

経済社会の思想が世界共通になりつつある今は、男女平等は当たり前。その上、女らしさ男らしさという考えは無しにするべきとまでいわれている。

それはそれで、人として必要な権利は主張して、結果、世の為になれば時代に合わない規制など常に変化進化すればいいと思っているが、やはり、男にしか、女にしか醸し出せない雰囲気は保ってほしいと願っている。日本独特の侍魂と、大和撫子魂はその雰囲気を保つ軸のようなものではないだろうか。

本人は認めないが、私が勝手に昔から侍と思い込んでいる人の近況を聞ける機会があった。珍しく創業時の苦労話も聞かせてもらって盛り上がった。「僕も少しは話ができるようになったのです。昔は気恥ずかしくて社員が大切だとか口に出せなかったのですが」と言いながらも、まだ少し照れていた。何年たっても変わらずにシャイなのだわ。私が、この方を侍と思うのは、こういうところも含めてなのである。

人一倍に事業を考え、具体的に動き、受けた恩は返す、有言実行の男だ。若くして社長になり、宣言通り上場しても、相場の変動で大騒ぎされ、中傷されても、辛抱強く戦い抜いて今がある。そして、今、最も大切にしているのは会社の仲間であった。

嬉しかった。だから「侍」って言っているのよと思いながら、楽しくお酒が飲めた。これから先も何があるかわからないけど、持ち前の武士魂で跳ね飛ばしてくれると思う。男は男らしいのがいいよね。男という字は甲斐性があるという意味があるからね。

ジェンダーフリーなんてない昭和の時代から、勝手にフリーで生きてきた私は最近になって家事を一から勉強している。そして解った、主婦は凄い。

家の中の仕事と言ったら、あらゆる知識が必要なのだ。この知識を詰め込んだ奥方達は最強だ。長年専業主婦だった人が起業して成功できるのがよくわかる。

なんでも出来るけど、旦那さんを立てる。大和撫子の強さはこういうことだ。男は侍、女は大和撫子と願うのは、やはり自分にないものに憧れてしまう心理だった。

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