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コラム

第135回

「仁義」

義理と人情をはかりにかけたら、義理が重たい男の世界。恩義に報いる為、困っている人の為、命がけで行動を起こす任侠道に生きる男。

スクリーンに映る健さんの姿に感動を覚えたものである。なので、任侠、仁義、極道と聞くと、唐獅子や竜神様や弁天様が眼に浮かんでしまうが。この言語は特別な業界の用語ではない。

そもそも、仁義とは道徳の基本、人としての行い、いわゆる義理。任侠は、困っている人を助ける為の精神。

極道も仏法の道を極めるというところが本来の意味だ。いずれにしろ、人としての生き方を示すものなのである。

では、弱肉強食、適者生存の資本主義経済社会において、仁義を貫く事は可能なのだろうか。資本主義社会は、利己心が基本である。利潤を追求する為には、自分以外は利潤追求の手段でしかない。資本主義経済は、資金と権利を持つ者が強者であり、資金と権利を持つ者が最も望む事は利潤の追求である。

しかし、実は、この利潤を追求する社会だからこそ、仁義を守る事が出世の秘訣にもなる。何故なら、そういう人は、部下や友人に恵まれるし、上司が認めるし、顧客の信頼も得る。

だから、真実の情報を手に入れる事が出来て、権限を持った人間と行動が出来るから結果的に功績に直結する。そんな事を、ついに社長に就任された方とお話しをしながら思い浮かべていた。

その方は、新人時代から社長になられるまで、顧客への感謝、下請けや部下への気配りもずーっと変わらない。御出世されるたびに忙しさが増しても、時間をやりくりして、対面による挨拶を欠かさない。

なんでこんなに、いつまでも変わらない配慮ができるのかと疑問をぶつけたところ、社会に出て初めて教わったのが、義理を欠かさないという事だったからと答えてくださったが、その言葉の重みを受け止めたその方の器量だと思っている。

まさに叩き上げという言葉そのもの。その方は、お若いときから淡々と粛々と、誠実に知恵を絞りだして、確実に利益を上げ続け、ついにその地位を獲得された。

一部上場企業、1900人の一人になる事は、並大抵な努力では出来ない。

現代社会は、必要を超えた生産の拡大により、人間精神の劣化が進んでいると言われている。確かに金銭のやりくりが主体の世の中は、どこか殺伐としたところもあるが、そうはいっても、そのおかげで、より便利に快適に生活が出来、餓死や伝染病も激減している。

そもそも、資本家にとっては、利潤を追求する人間は必要不可欠である。
資本家を活用して、世の為人の為に尽くす事が資本主義の原点のはずなのだから、まずは利潤を追求できる人間になる為に、仁義を通しましょう。

うん、やっぱり、義理を欠いたらこの世は闇だもの。

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