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コラム

第103回

「個性的なキャリアとは」

最近、「個性的に、生きる」という言葉を、よく目にしたり、耳にしたりする。
個性の尊重は、とても大切なことであり、誰しも願うことだ。

しかし、個性という事を、理解してない中で、ただ個性という言葉を仮面のように使ったり、無理に他人と異なる事を、個性的と口にしている様な気がする。

「ゴッホだって、始めは、誰もその才能を認めなかった。しかし、今では、素晴らしい評価をされている。自分は、ゴッホのように個性的にありたいのです!」と、転職を繰り返している方が、TVの特番で語っていた。個性は、人の間に生まれる。人を認めなければ、自分も認めない、結果、自己統一の力がなくなってしまう。だから、利己主義といった自分の殻に閉じこもった自己防衛の姿になってしまい「個性的に生きたい」という言葉だけが、一人歩きしているように思える。

彼は、ゴッホという画家を、「自我の強い、傲慢で自らを変えない頑固な人」と理解しているように思えた。しかし、実体のゴッホは、日本画風を取り入れて、作品を創作した画家だ。

過日、社のメンバーが参加している劇団の演劇を観た。若き劇団員達が、ひとつのテーマに向かって、一人ひとりの持てるエネルギーを精一杯出しながら、全メンバーと一緒に表現している姿に、爽やかな感動を覚えながら、一人一人の劇団員に目が留まった。演劇や映画は、一人で創りあげることは出来ない。

多くの人達との関わりによって素晴らしい作品が生まれ、その中から一際輝く役者が生まれていく。名を残す役者は、社会や組織に素直な態度で交わり、もまれて創造される。個人主義や利己主義でなく、自己表現することで、個性を生み出す。

孔子の「和して同ぜず」という言葉がある。才能を伸ばすのも、個性的なものを育て、表そうとするのも、和(調和)して、交わる事にある。同ぜずとは、自分を掴むことであり、この両面がなければ、個性を育てることはできない。和して、社会的なものを持たなければ本物の「個性」は、生まれない。  

反対に、何かの団体や会社や組織に入って、大勢で仕事をして、大きな責任もなく成果も出ていると、自分を考えなくても過ごせていくようになり、表面だけ、和(同調)していく。「和して同ぜず」でなく、「同じて、和せず」では個性も何も無い。

本気で個性的に生きたいのであれば、まずは、社会と調和した上で、個性(持ち味)を活かしていくという事を理解して欲しい。先の劇団員のメンバーは、一人ひとりの持ち味を活かし、素晴らしい芝居を見せてくれた。

「皆違って、皆いい」個性は誰にでもある。
自分勝手を個性と勘違いせず、社会や会社と和して、個性的な自分を開放して、キャリアを歩んで欲しい。

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