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コラム

第185回

「遊行期の過ごし方」

遊行期というのは、古代インドで、人生100年を四つの期として考えた時の最後の期とされる75歳~の事だ。その前50歳から75歳に入るまでを、人生で最も輝く林住(りんじゅう)期という。

最も輝くのだから、その後は、輝きも薄れていく、そして、何も持たず、何も欲せず生きることが尊いとされる。・・・らしい。人生のオマケ?のような時期なので、何もしないでいいということかもしれないが。

それにしても、古今東西、人生とは?と問いかける方々のなんと多い事か。

それもこれも、人は生まれたら死ぬということを常に抱えて生きていかなければならないからだ。いつの日か、不老不死が可能になるのかもしれないが、今のところ寿命を先延ばしするのが
(それでもすごいことだが、)精いっぱいなのである。

にしても、なんであれ、生きている以上は、日々をより楽しくより快適に過ごすために人々は
なにかしらの糧を得て、なにかしらの工夫をして、それなりに暮らしている。
そして、年が明けると、今年こそ!今年も!今年は!と、それぞれの決意のもと一斉に初詣に出かける。

普段からの信心があるかないかは別として、初詣にでかける。このように人間は、例え国の文化は違っても、神仏の存在を信じているから、進歩がある。科学や技術の進歩は、神と呼ばれる存在に近づく事に他ならない。

今でも、家電類や通信機器は便利さを増し、家事の時短や、効率UPにつながっている。
ネットを開けば、世界中の人とつながるし、買い物なんぞボタンを押すだけだ。それを飛行物体がせっせっと運んでくれるようになるらしいし。そのうち、高層ビルのベランダに屋台が来るというSF映画の世界も現実になりそうだ。

だから、猶更、これからの遊行期をどう過ごすべきなのかが大きな課題となる。
周辺に便利があふれ、寿命もどんどん先延ばしになるのだから、何もしない時間が増えるばかりではないか。

人として、なにもしない、何の役に立たない状態を末永く求めているとは考えにくい。
なので、遊行期においても、仕事をするべきなのである。ないなら作るべきなのだ。
それぐらいの裁量は長く生きているのだから、あるはずだ。

例えば、老人の老人による次の老人の為の仕事を考え、検証するのも仕事なのである。
どんな人にも訪れる老いに対する悩みを知っているものこそ出来る仕事なのだ。
夢みたいな事だってなんだって、考えればいい。思い描くことから進歩はある。
昨年より、内閣府でもムーンショット型事業の研究開発に力を入れている。

誇大妄想のごとくの発想でも、現実になれば、世の中に役立つような事業アイディアを求め、研究していくとの事。確かに今や何を考えても、なんとかなりそうだ。
2040年までに建設工事の無人化とか、2050年までに地球からゴミを廃絶するとか・・・etc.
なんだか、楽しそうである。

そう、いくつになっても、未来を夢見て何が悪い。
生きている限り心は老けないでいるべきだ。
前にも書いたが、90歳を超えても、太陽光熱を塗料にすることにチャレンジされていた著名な方がいらした。あの方のような精神で遊行期を過ごせたらと思っている。

ということで、今年も宜しくお願いいたします。

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