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コラム

第191回

「和の醍醐味」

日々、次から次へと押し寄せてくるカタカナ用語に辟易している。仕事上の書籍は勿論の事、日常の会議においても横文字の割合が増えている。その上英語をカタカナにするだけでなく、頭文字をつなげた略語も増える一方だ。

確かに、外国語、特に英語は資本主義経済の中枢にあるし、情報通信の発展の中心部を担っているので、この速さで進化や変化をしていくご時世、いちいち、日本語に変える手間も必要性も無いのだろう。それに転勤や留学で海外生活をする人も増えた事で、言葉や文化の壁が低くなっているのも、日本語変換等必要ない一つだといえる。

なので、これから仕事人生を歩まれる方は、他国言語は当然のこと、情報技術言語もある程度習得しておかないと、業界を問わず、競争社会を生き抜くのは厳しいだろうと思う。

にしても、どこか寂しい気持ちになるのは、このままだと日本語が少なくなっていくという現実を感じるからである。商売上は、地球規模の戦いだから仕方ないにしても、日本語と外国語を混ぜこぜにした、新たな言葉が日本語として日常会話になっていくのだと思うと、今更ながら古来からの日本語を大切にしようという気になる。

言葉や文字にはその国の文化や歴史や受け継がれた精神が宿っていると思うからだ。

そう感じたきっかけは、日本の文字や歴史を愛し大切にしている月野志保という書道家のおかげだ。彼女は、言葉の表現力が高いので詩を詠む才能もあるのだが、もともと文字に対する想いがあったようで、書の世界に入ってから瞬く間に師範になり頭角を現している。

日本の文化を書道を通じて、自分流の伝え方をしたいと独立して講座を始めた。なにしろ教え方が上手だ。数回の指導にもかかわらず、悪筆で文字を書くのが大の苦手だった私が、書くことが億劫にならなくなったほどである。

それに、万葉集や古文、文字の成り立ちについても造詣が深く、またそれをわかりやすく解釈してくれるので、その文字が読めたり書けたりすると優美な気分に浸れる。時間の流れが変わるのだ。そう、優雅な時間の流れ。これこそ、和の醍醐味である。 出来れば、和室で着物姿でいたくなる。

着物といえば、再販売品や、個人売買のおかげもあって、本来は恐ろしく高額な着物が安価で手に入るようになり、案外気軽な装いになりつつある。

着物も洋装の要素を取り入れたり、洋装の上着として着るなど、日本人ならではの発想が大正時代には群を抜いていたが、今、また若者の感性が新たな和装の形を築いている。もともと、和の文化は、昔から他国の良いところをとりつつも和の魂を混合しつつ残ってきたものだから、「和魂洋才、和魂漢才」等と言われてきた。

この先は、地球規模の時代なのだから、いろいろな国と融合した新しい文化が始まることはしかたがないとしても、たまには古き良き時代に心を飛ばして和の醍醐味を味わっていようと思っている。光のごとくの速度で物事が移り変わる時代だからこそ、やをら時流る和は、今こそ必要な何かを与えてくれるかもしれないのでね。

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