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コラム

第202回

「挑戦者 豊田喜一郎」

GWに、愛知県の豊田市を訪ねました。
豊田市は、トヨタ自動車を創業した起業家豊田喜一郎の誕生の地です。

喜一郎が自動車事業をやろうと決意した頃、関東大震災の復興に向けて大量の自動車が必要でした。しかし、国内の自動車工業はまったく育っておらず、フォードからの輸入に頼っており、1929年の世界恐慌によって日本も不況が深刻化していました。

豊田自動織機製作所は業績不振に陥り、自動織機だけでは生き残れないと考えた喜一郎が、再興の為に立ち上げた新規事業が、トヨタ自動車の起点でした。

自動車工業が将来、経済の中心になると見抜いた喜一郎は、自動車への挑戦は、技術も設備も無い上に莫大な資金が必要で、三井や三菱などの大財閥も手を出せない大きなリスクを伴う事業だということ認識していました。

スタート時は、出島のような形で自動織機工場の片隅で小さなエンジン開発に取り組み、ひたむきに「いいクルマ」作りを続けた新規事業は、様々な試練やイノベーションを繰り返しながら、今日のトヨタブランドを築き上げました。

過日、「2014年3月のトヨタの決算は、2兆2,921億円の営業利益」になったと発表がありました。この額は、上場企業全体(金融機関を除く)の一割に相当する純利益を稼ぎ出した数値です。

前例のない、誰も経験したことがない未知の新技術で夢のクルマ創りに挑戦し続けているトヨタは、たった一人の企業内起業家の熱狂から始まりました。

日本は今、これまで繁栄を支えてきた産業が衰退期を迎え、一部アベノミクス効果はありますが、経済は停滞から脱皮できないでいます。 

日本は、明治維新や敗戦をバネに、ハングリー精神と高い志を持った起業家達によって、世界の奇跡と言われる経済大国日本を築き上げました。
豊田の地で、クルマに夢を託し挑戦していく起業家豊田喜一郎の精神に触れ、一人でも多くの挑戦者達へのインキュベーション機会の窓を開いていきたいと思いました。

トヨタ株式会社前にて

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