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コラム

第235回

「バンコク」

「東南アジアのハブ」といわれる国際都市バンコクに、行ってきました。 40年前、バンコクの街に象使いが象に乗って悠々と歩いている姿がありました。 今では、街は高架鉄道や地下鉄の路線が通り、高層ビル群や巨大なショッピングモールができていますが、路地には昔ながらの静かで素朴な庶民の生活があり、古今の文化が見事に調和した大都市となっています。

現地で働いている経営者から、「バンコクの平均月収は10万程で、大卒の初任給は6万円です。住民の生活は、定食が平均150円、家賃1万5000円位で、4万円前後で生活できます。自分は、繁華街近くの東京で言えば山手線内の1DK、プール・ジム付きの高層マンションで、家賃6万円のところに住んでいます。贅沢な暮らしをしても、日本の生活費の2分の1以下です」と聞きました。

タイには、戦前より多くの日本企業が進出しており、ホンダやダイキンをはじめ6,800社もの様々な日本企業が進出しています。
驚いたことに、バンコクに日本人が5万人程在住し、東南アジアで最も多く、ロサンゼルスに次いで世界で2番目に多いとのことでした。

タイとの親交の歴史は古く、アユタヤ王朝時代、日本人で初めて東南アジアに新天地を求め、シャム国で日本人町を創り、大臣にまでなり地方の王国リゴール王にまでなった「山田長政」という人物がいます。 初めて海外に進出し成功した日本人といわれています。「貿易を広めるために、アユタヤの内乱や外征に日本人義勇隊を率いて参戦し、つぎつぎと武勲を立て、その功績を国王に認められ、信頼を獲得した」と伝わっています。

進出する国の「不」を解決することで信頼を獲得し、時間をかけ事業基盤を創り上げた「山田長政」の足跡が、日本人への信頼の歴史となったように思います。

昨年、プミポン国王が崩御され、街のいたるところに白と黒の幕が飾られ、今も黒い服装の人々の姿がありました。不幸なことがあると、汝が至らないと考え、人のせいにせず、殺生はしないことが功徳をつむ、タイ人の慈悲深さを感じました。

これだけ多くの日本企業がタイに進出しているのは、コストだけでなく国民への信頼感や、これまでの親交の歴史から来ていると思えました。

これから、タイへ多くの日本人が移住し、共創の展開が更に拡がる予兆を感じました。

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