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コラム

第241回

「共有社会」

今年の夏休み、アムステルダムから来日している方から、「オランダでは、宿泊施設や車を始め、オフィス、学校といった様々なものを共有して利用している。日本は、シェアして使うサービスが少ないね?」と訊ねられました。

この方によると、アムステルダムでは使っていない部屋や車をシェアするカーシェアリングなどを提供しており、これからもできるモノは、なんでも周りの人に提供していきたいとのこと。自分も様々なものを活用していて、日々の生活スタイルが変り、とても心豊かになったと笑顔で話してくれました。

アムステルダムは、「スマートシティ」プロジェクトに取り組んでおり、先端技術を活用して、社会・生活インフラを効率化・高度化(スマート化)することを目指している都市で、「shareNL」という機関が主導し、モノや、空間、スキル、移動など、シェアされた仕組みが出来ているとのことです。

5月に訪ねたサンフランシスコやシリコンバレーでも、スマートフォンを使いAirbnbで部屋に泊まり、Google mapとUberで日々を快適にローコストで過ごしました。改めて各地にこういったシェアする新たな世界が勢いを増し拡がっていることを実感しました。

今、体感しているケースは一例にすぎず、これから更に進化するIoTは、提供者と利用者を結びつけて、一つの国や社会を大家族にまとめ、近い将来、日本でも全国でモノをシェアできるようになり、とくに若いインターネット世代の生活の質を一変させるのかもしれません。

IoTやAIの拡がりは、これまでの資本主義市場と共有型経済のハイブリッド経済へと移行する黎明期なのだと思います。協働型コモンズによってコストを限りなくゼロに近づけることによって、既存の企業の提供するモノやサービスの収益構造を変え、産業の垣根を越えた新たな共有型経済が出現しています。

日本は江戸時代、庶民は集合住宅の「長屋」に住み、井戸やトイレ、ゴミ捨て場などを共有して暮らしていました。土鍋や皿や鉢などの食器の貸し借りや、食材や料理の御裾分けが、日常的に行われていたそうです。

長屋の住民たちは、生活必需品のシェアだけでなく、子どもが生まれるとみんなで世話をして、地域社会で育児を行っていました。

ここ数年、日本で増加しているシェアハウスには、江戸時代のこういった精神や生活スタイルに通じる共通点が多く、現代の暮らしに復活した背景には、本来、日本にこういった生活文化があったからこそ、受け入れやすかったのだと思います。

日本の生活者の文化資源を活かし、協働によるオールジャパンで新しい社会を実現していきたいものです。 

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