イントレプレナー塾
130年企業が挑む、“人と風土”から始める新規事業づくり—— artienceインキュベーションセンターの挑戦

2024年、東洋インキSCホールディングス株式会社は「artience株式会社」へ社名変更を行いました。130年の歴史を持つ化学メーカーが、なぜ今、“感性”を掲げ、新規事業に本気で向き合っているのでしょうか。
今回お話を伺ったのは、artience株式会社 インキュベーションセンター所長の髙橋隼人氏です。ビジネスアイディアコンテスト「IPPO(イッポ)」や、オープンイノベーション拠点「Incubation CANVAS TOKYO」の立ち上げなど、社内外を巻き込みながら“挑戦する土壌”を作り続けています。
「新規事業を生み出す前に、まず“土台”を作る必要がありました」
そう語る髙橋氏に、インキュベーションセンター設立の背景から、イントレプレナー育成、そしてこれからの新規事業について伺いました。
目次
“機能”だけでは、次の100年は続かない。「artience」に込めた想い

林:まず初めに、artience株式会社について簡単に教えてください。
髙橋隼人氏(以下、髙橋):これからさらに100年続く会社になるためには、“機能的価値”だけではなく、人の感性に響く価値も提供していかなければいけないと考えています。その想いから、2024年に「art」と「science」を掛け合わせた“artience”に社名変更を行いました。
実際、今は世の中全体が大きく変化しています。
技術だけで差別化することが難しくなってきている中で、「どんな体験を提供するのか」「どんな感情を生み出せるのか」という視点が、これからますます重要になってくると思っています。
だからこそ、単なる化学メーカーではなく、“感性に響く価値を提供できる会社”へ変わっていかなければいけない。その象徴が、この社名変更でもありました。
新規事業を生み出す前に、まず“土台”を作る必要があった
林:インキュベーションセンターの設立、髙橋様の社内での役割について教えてください。
髙橋:インキュベーションセンターは2023年に設立されました。背景としては、「20〜30年、大きな新規事業が生まれていない」という会社としての危機感があったんです。
もちろん、既存事業は非常に強いですし、長年積み上げてきた技術もある。
ただ、それだけでは今後の市場変化に対応しきれないのではないか、という危機感が経営側にもありました。インキュベーションセンター設立当初は、“新規事業をどんどん生み出す専門組織”として期待されていました。
実際にさまざまな外部プログラムや他社事例を見ていく中で感じたのは、「今の会社には、事業を生み出し続けるための土台がまだ足りていない」ということでした。
髙橋:例えば、
・社員一人ひとりのマインド
・新しいことに挑戦する文化
・それを支える制度
・社外と交わる環境
そういったものが、まだ十分ではありませんでした。新規事業って、制度だけ作れば生まれるわけではないんですよね。
むしろ、「挑戦してもいい」「失敗してもいい」「応援される」という空気がないと、人はなかなか動けない。
だからまずは、
・イノベーター育成
・社内ビジコン運営
・オープンイノベーション推進
・場づくり
といった、“土台づくり”から始めました。
最初は、「事業を作る」というより、「挑戦する人を増やす」ことの方が重要だったんです。**林:**この3年間で、社内の空気感にはどのような変化がありましたか。
髙橋:最初は正直かなり厳しかったです。例えば、私が外部で面白いスタートアップと出会って、「この技術、うちの事業と相性が良さそうだな」と思って社内に持ち帰っても、ほとんど興味を持ってもらえませんでした。
あと、起案者に対しても、社内では「そんなことやっている暇があるのか」という空気がありました。既存事業が忙しい中で、新規事業に時間を使うことへの理解がまだ十分ではありませんでした。
実際、起案者本人も孤独になりやすい。
起案者の上司にも説明しづらいですし、「本業をやりながら新しいこともやる」という状態になるので、精神的にもかなり大変です。
しかし最近は、少しずつ変わってきました。もちろん全員ではないですが、「自分は参加できないけど、挑戦する人は応援するよ」という空気が出てきました。
これはすごく大きな変化だと思っています。
実際、社内で新規事業に挑戦する人が増えてくると、「あの人も挑戦しているなら、自分も少し考えてみようかな」という連鎖が起き始めてきました。まだ道半ばではありますが、少しずつ“挑戦が特別ではなくなる状態”に近づいてきている感覚はあります。
「新規事業担当者は孤独」だからこそ、社外とつながる必要がある
林:ここまで社内を動かしてくる中で、髙橋様ご自身はどんな想いで進められてきたのでしょうか。
髙橋:正直、新規事業部門って孤独なんです。理解者が少ないですし、社内では“腫れ物”みたいな扱いを受けることもある。
でも、だからこそ、もう前に進むしかない。中途半端に戻る場所もないので、「ここで価値を出すしかない」という覚悟でやっていました。
だからこそ、社外との接点は本当に重要でした。
同じように新規事業に苦労している人と話すだけでも救われることがありますし、外の空気に触れることで、自分たちの現在地も分かる。社内だけに閉じてしまうと、どうしても視野が狭くなってしまうんです。
事業化できる人は、まず動く。イントレプレナーに必要な姿勢とは
林:これまで多くの起案者を見てこられた中で、“前に進める人”にはどんな共通点がありますか。
髙橋:まずは“動ける人”ですね。どうしても、「まずは調べよう」「デスクトップでリサーチしよう」で止まってしまう人は多いんです。
でも、実際に動いてみると、新しい情報が入ってくるし、人にも会える。そこで初めて見えてくることって、本当に多いんですよ。
だから、とにかく一回やってみる人は強いです。
完璧な状態になってから動こうとすると、永遠に動けない。まず市場に出ること。そこから修正していくこと。それがすごく重要だと思っています。
髙橋:あと、新規事業って“偶然、セレンディピティ”の積み重ねだと思っています。一見関係ないことが、後からつながることがよくある。だから、
・いろんな領域に興味を持つ
・外に出る
・情報を取りに行く
・人に会う
そういう人は強いですね。逆に、自分のテーマだけを見続けていると、視野が狭くなってしまう。新規事業って、最初に考えた通りにはほとんど進まないんです。
でも、外に出ている人は、その変化を柔軟に受け止められる。そこが大きな違いだと思っています。
イントレプレナー塾で見えた“外の刺激”「会社はなぜこれをやるのか?」
林:これまで弊社イントレプレナー塾にも貴社からご参加いただいていますが、どのような価値を感じられましたか。
髙橋:弊社の社内起業制度は、どちらかというと“人材育成”寄りなんです。テーマもかなり自由ですし、「まず挑戦してみよう」という色が強い。
一方で、イントレプレナー塾は、本気で事業を創りにいくため「なぜ会社として、この事業をやるのか」をかなり深く問われる。そこは参加者にとって、すごく大きかったと思います。
単なる“やりたいこと”だけではなく、
・会社としてやる意味
・経営資源との接続
・市場との接点
・事業として成立するか
そういった視点を持つきっかけになっていたと思います。
髙橋:あと、やっぱり社外の人と一緒に実践するというのは大きいですね。社内だけの研修って、どうしても閉じやすい。
でも、違う会社、違う立場、違う業界の人と話すことで、すごく刺激を受ける。
実際、他社の参加者を見て、「こんなに動いている人がいるのか」「そこまで市場の声を聴くのか」と驚くことも多かったと思います。
そういう外部刺激は、社内だけでは得づらい価値だと感じています。
素材・化学領域なら、まずここへ。Incubation CANVAS TOKYOが目指す場づくり
林:最後に、2025年10月に開業された「Incubation CANVAS TOKYO」についても教えてください。

髙橋:これは、素材化学のマテリアル分野に特化したオープンイノベーションの場を目的として作りました。
一般的なスタートアップイベントに行くと、ディープテック、AIやSaaSなどが圧倒的に多い。でも、我々のような素材・化学系企業と本当に相性が良い企業って、実はすごく少ないんですよ。
だから、「自分たちで場を作ろう」と思いました。
髙橋:今は週3〜5回くらいイベントを開催しています。将来的には、「素材・化学領域なら、まずここに行けばいい」と思ってもらえる場所にしたい。そこに人や情報が集まることで、結果的に新しい事業も生まれていくと思っています。
やっぱり、新規事業って“偶発性”が重要なんです。たまたま隣に座った人との会話から、新しいテーマが生まれることもある。
だからこそ、“場”を作ること自体に価値があると思っています。
最後に|「まずは20%、違うことをやってみる」
林:最後に、これから新規事業に挑戦する方々へメッセージをお願いします。
髙橋:今の仕事を100%頑張るのはもちろん大事です。でも、そこに“20%くらい”、何か違うことをやってみようと思えるか。それがすごく大事だと思っています。
年齢も、役職も関係ない。まず動いてみること。そして、できれば社外の人ともつながってほしい。
新規事業担当者って、本当に孤独なので(笑)。
でも、同じような悩みを持っている人は、社外にたくさんいます。だから、一人で抱え込まず、外に出てほしいですね。
編集後記
これまでも今回も髙橋様のお話を伺うたびに、「本当にかっこいい」と感じます。同社に限らず、さまざまな企業の新規事業推進のお話を伺う中で、制度をつくり、社内の理解を得て、既存事業部を巻き込みながら前に進めていくことが、どれほど大変なことなのかを感じる場面があります。
それでも、少しずつ社内の雰囲気が変わりはじめ、会社の中期経営計画や沿革の中で新規事業が語られるようになり、実際に事業化の芽が生まれていく。
そうした変化を聞くたびに、こちらまで嬉しい気持ちになります。
今回のインタビューを通じて、改めて「社内で新規事業に挑戦する方々の力になりたい」と強く感じました。挑戦する人が孤立せず、前に進み続けられるように。
髙橋様のお話は、私自身にとっても、その想いを再確認する機会になりました。
インキュベーションコンサルタント 林蒼也