column

コラム

第137回

「働く人生」

現代人は何かとお忙しい。お仕事以外にもいろいろと時間が取られるせいか、「日がたつのが早くて早くて、もう一年過ぎてしまった」とか。「気が付いたらお正月だよ」とか。ともかく、時の経つのが早すぎると言う声をあちこちで聞く。

お正月に始まり、バレンタイン、雛祭り、ホワイトデー、花見、御節句、ゴールデンウィーク、お盆、シルバーウィーク、ハロウィン、クリスマス。ここに、個々人のバースデーや記念イベント、冠婚葬祭。小ぶりだけど根強い春分秋分の日、新年会、忘年会。会社や近所のおつきあいイベント。養育中の方はこれに学校行事がからむ。

これだから日本は平和で豊かな国だと思いきや、今や深刻な貧困問題が隠せなくなってきた。年収格差が広がりすぎているのだ。

哀しい事に、親の貧困は、そのままその子供につながる。少子化の日本に貧困状態の子供が300万人もいるというのだ。6人に1人もだ。遊興三昧で、物や食物を廃棄しまくっている豊かな人々の陰で、これからを支える大切な子供たちに、栄養や教養が不足している事態がおこっている。

そもそもお金は、価値に対する対価である。そして、富める者は貧しいものを助ける手段としてその価値を使うものであるはずなのだ。いや使うべきなのだ。

欧米では、寄付行為はブルジョアに限らず庶民も習慣として行っているという。日本は、税制の関係もあり、国が所得の再分配という形で行ってきたので、改めて寄付という行為には消極的だというが、視点を変えれば、人が人を応援する事はできるはずだ。

高齢化社会を支えてくれるはずの子供たちに不平等がありすぎるのは寂しすぎる。親が働いても貧困状態の子供たちを減らしていけるようにするには、お金の力で補うしかない。だってお金が無いから、学校に行けない、栄養が取れない、病院に行けないのだから。

現実に必要なのは、目の前のお金である。日々の収入なのである。まずは、親の年収を上げるために様々な政策を打たなければならないが、現役世代ではそのような時間もゆとりもない。

ところが、今の日本には、知恵も時間もある裕福な方が沢山いらっしゃるのである。嬉しい事に、最近、高所得者のリタイア組の方々が、若者や社会貢献事業に対して応援するという会を、上場企業の創業オーナーであった方が発足された。

ゆとりと知識、教養、人脈がある人間でなければ出来ない事で具体的に働いて支援するという会だ。こういう方々の資源を通じて新たな雇用創造ができれば、貧困問題に光を当てる事が出来るかもしれない。

リタイアしてからの行事や遊興も楽しい時間だと思うが、自分の出来る事で誰かを楽にすることが出来れば、より満足のゆく日々を過ごせるはずだ。誰かの為に働くという事は、自分の為でもある。

私如きも、出来る範囲で頑張って働いて、誰かのお役に立ちたいと思っております。
今年も宜しくお願いいたします。

コラムを毎月メルマガでご購読