column

コラム

第70回

「岡倉天心」

時々、東京の下町が好きで、谷中に散歩に出かける。谷中に、小さな六角で出来た奇妙なお堂のある「岡倉天心」という名の公園がある。以前から、六角堂と岡倉天心という名前の由来が解からず気になっていたが、10月の連休に出かけた際、茨城の五浦海岸で思わぬ出会いがあった。

今から100年程前、フランスでエコールドパリ、日本では五浦(いずら)時代という近代の美術の礎を築いた黄金期がある。この時代、横山大観、下村観山、菱田春草、等をはじめ、日本を代表する画家の傑物達が同じ時代に育っている。

しかし、当時岡倉天心は、反支流と見なされ、美術学校の学長職を辞し、茨城の五浦海岸に居を移し、日本美術院を設立した。そして、岡倉天心を師と仰ぎ、五浦に集ったのが、横山大観をはじめ、下村観山、菱田春草、木村武山といった当時の若者達である。

ここで、岡倉天心の思想の影響を受け、「空気」を描く画風が生まれた。中でも、「流燈」などをはじめ日本美術界の宝と言われる作品を多く生み出されている。その後、五浦時代の画家達は、それぞれ名声を高め、日本画の改革者として、今日の近代日本画の道を示した。

天心の晩年、五浦海岸で海の最もよく見えるところに、六角の六角堂を建て、よく太平洋を眺めていたようである。英語が堪能だった天心は、日本美術院を運営する傍ら、アメリカのボストン美術館からも中国、日本の美を広める役割を担っていたが、51歳の若さでこの世を去った。

その後、弟子達がこの天心の思いを語り繋ごうと、以前天心が創設した日本美術院のあった跡地谷中に「岡倉天心公園」とそのシンボルとして「六角堂」を建てたのである。

いつの時代も、新たな変革が行なわれる時、強烈なメッセージを伝えるリーダーがいる。そして、そのリーダーの思想を表現するエネルギー溢れる若者達がそこに集い、競い、新たなバリューを創造していく。歴史は繰り返され、今、私たちは、時代の大転換期に居合わせている。

   

コラムを毎月メルマガでご購読