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コラム

第172回

「人生100年、キャリアのその先」

最近は、100歳のご長寿話も珍しくない。むしろ、100年以上生きられるというところに、終末の迎えさせ方という、本人よりも残された家族や縁者に降りかかる問題が起きている。

本人の意思確認が明確で無いばかりに起きる周囲の苦悩である。年々、そこに関連した問題が増幅していくにも関わらず、画期的な法律も仕組みも出来ていない。

だから今は、健康寿命を伸ばす、ひたすら伸ばす為に、国も民もあらゆる努力をしている。少しでも元気で動いて頂き、ともすれば少しくらい働いてもらうしかないからだ。にしても、100年となると、現代人の仕事期間は、60年くらいは必要になる。80歳あたりが理想の引退時期となるわけだ。

となると、これまでのような60代で終了したはずのキャリア人生を、延長あるいは復活しなければならない。年々、キャリア相談者の年齢層があがってきているのは、ご長寿社会の証なのである。

今は70代でも元気な方は沢山いらっしゃるので、適正な職場が無いわけではないし、どの方も豊富な知識と経験をお持ちで頼もしい限りなのだが、反面その拘りや経験が行動を阻む事もある。

なので、むしろ若者よりも厳しい条件で働く覚悟が無いと新たな居場所を作る事は難しい。私が最も、シニアのキャリアスタイルとして感動した方は、定年退職後、最低保証額で大手企業にジョインされ、瞬く間にその手腕で、会社の絶対的キーマンの座につかれた方である。

その方からすると、その会社では新人なのだから、報酬も新人扱いは当然の事で、経験者なのだから、経営が理解できるのも当然ということであった。

人生という大きな山は、登山と一緒で、上るだけではなく、下山が大変なのだと五木寛之さんのエッセイにあった事を思い出した。正に、成功を収めたと思われた人のその後を見ていると、ピークの時からの降り方に、その方の本領が現れると思わされる。それは、体の劣化と、知力の低下、情報と人脈の枯渇との戦いでもあるからだ。自分を過信した無防備な下山は危険なのである。

むしろ、慎重に降りる事で、新たな喜びに遭遇できるかもしれないし、若さに任せてわき目もふらずに駆け上がった頃よりも、素敵な景色を仲間とゆっくり見られるかもしれない。

どちらにしても、人生の下山の最中にやるべきことは、未来を担う人への尊重と貢献だ。死ぬまで更なる頂上を目指す希代の起業家の場合でも、体力の限界は必ず来る。

にしても、100歳まで生きなければならないとしたら、死ぬまで働かなければならないとしたら、できるだけ格好いい登山、(つまり登って降りる)をしたほうがいいに決まっている。

未来を担う若者も、すぐにまた同じような日がくるのだから、見本を示さなければならないのだ。

今、それなりの年齢層の方々は、成功した方はその成功の要因を伝授しつつ、具体的に手を差し伸べ、失敗した人も、それなりの経験を基に,小さなことでも応援するべきなのだ。

勿論私は後者だが、お陰様で元気に山のふもとで生きているので、できるだけ山を登る人のお手伝いや、降りてくる人の杖にもなろうと思って日々過ごしている。それに、これからは、国籍も人種も、勿論、性別も関係ない。

大事な事は、何を伝え、何を応援するかという気構えだけである。経験者ならではの仕事である。キャリアのその先は、終末に家族が困らないように手配したら、未来につながる人材や、事業や、起業家の応援をすることを使命と捉えて頂きたいのだ。こんな面白くて便利な時代、やり方はいくらでもあるのだから。

ニーチェ曰く、学ぶ意思のある人は、退屈を感じないそうだ。謎解きと知識獲得という意味のある充実で日々が埋め尽くされるという。

なによりも、一番の健康寿命の伸ばし方である。刺激的な毎日を送って、人生100年、なんとか元気に未来の為に役に立とう!!

本音を言えば、ちょっとばかり、きついのだけど。

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