column

コラム

第186回

「無財の七施」

人間社会は、どんなに技術が進歩しても、身体への様々な障害や影響にその都度対応しなければならず、その影響が他人にも及ぶ恐怖を伴うとなると、社会的にも個人的にも、徐々に穏やかさを失ってしまう事もあります。

しかしながら、どうせ同じ時を過ごすなら、どんな時にでも、心温まる瞬間は必要です。
遠い昔から、生きている時間を、より幸せに過ごす為の教えや教訓に共通しているのは、心の平安を保つことだと改めて思うのです。「怒らない、悲しまない、恐れない」という訓言もあります。

また、その中の一つに、財力や智慧や才能が無くてもできる「無財の七施」という仏教の教えがありました。七つのお布施です。お布施とは徳を積む事です。

その七施とは、
一、眼施(慈眼施)
 優しい眼差しですべてに接すること
二、和顔施(和顔悦色施)(わがんえつしきせ)
 いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対すること
三、愛語施(言辞施)
 常にやさしい言葉を使うこと
四、身施(捨身施)
 自らが動いて奉仕すること
五、心施(心慮施)(しんりょせ)
 他人の心に心底寄り添う事。
六、壮座施(そうざせ)
 他人の為に譲る心。他人を立てる心。またその行為を悔やまない心。
七、房舎施(ぼうしゃせ)
 思いやりの心を持った行動

と、ものすごく大まかに、かいつまんでますが、私流の解釈だとこういう行為の事です。
確かに、この七つの行為に関しては、資産も、知恵も、才能も強靭な肉体も精神も必要ありません。

出来そうでいて、中々できないからこそ修行なのですが、まずは優しい眼差しと笑顔(和顔施)は欠かさないようにしてみたいものです。

笑顔や優しい言葉は、例え最初は、心からでなくても、表現しているうちに自分のものになるものです。何故なら言霊は声に出すことで生きてくるからです。

良い言霊というと「嬉しい、楽しい、幸せ、大好き、愛している、ありがとう、ついてる」とか、「良かった」とかです。いい言葉を放っていると邪気が逃げていき、良い運が来ます。だからネガティブな言葉は避けるべきです。

といっても、人間です、腹立たしい事や悔しい時等、仕方なく声に出してしまったら、訂正しましょう。心から反省すればいいのです。

笑顔や、優しい言葉、ちょっとした心遣い、そして反省も、なんの資金も知恵も必要ありません。生きていると面倒な事ばかりおきます。大なり小なりそれぞれの人生の中で面倒な事ばかりです。

だからこそ、いい言葉や、優しい眼差し、和やかな表情で過ごして、他人への思いやりを忘れずにいることで徳を積んで幸せに過ごすべきなのです。勿論、私も、これからでもなんとか間に合うよう修行に励みたく存じます。


コラムを毎月メルマガでご購読