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コラム

第132回

「ベトナムの今」

2009年元旦、カオスの国ベトナムのハノイで新年を迎えた。

この季節のハノイは肌寒く、信号機のない道を警笛と共にオートバイとクルマがとぎれなく川のように流れていた。旧市街のホアンキエム湖の畔は、年末年始で多くの人で賑わい、「綿通り」「銀通り」「漢方通り」に、通り名の商品を揃えた店が並び、水の溜る道端でフォーを人々が食べていた。そして、フランス領土だった食文化が残っており、街の路上のいたる所で、子供達がフランスパンを売り歩いていた。

現地のベトナム人から、次のような話を聞いた。国民の英雄・ホーチミンが生涯を捧げた民族解放の革命により、独立国として南北が統一された。そして、フランス植民地(80年に及ぶ)からの独立、その後、アメリカとの1980年頃まで続いたベトナム戦争によって国は疲弊した。

1950年頃、ベトナムの一人当たりの所得は中国の倍近くあり、豊かな農業国として過ごしていた。しかし、30年に亘り続いた戦争によって国は困窮化し、1986年にインフレ率は年率700%を超え、今では、一人当たりの所得が中国の半分程になってしまった。

その後、1986年にドイモイ経済改革を打ち出し、日本のメーカー企業も多く進出し、1990年頃から活力が出てきたとのことであった。空港からハノイ市内に向かう道中、キャノンやパナソニックを始め、多くの日本企業の工場を見ることができ、世界の工場となってきていると思えた。

2001年にベトナムを訪ねた際、労働者の月収は3,000円~7,000円位だった。現在は、倍以上になり物価は高騰し、ホワイトカラーの年収は、3万円位となり、ドン通貨の単位が10万、50万ドン(日本円で、50万ドンは約3,500円)となって、日本の通貨単位との隔たりが更に大きくなっていた。

現地の公務員達の大半は、基本の収入では生活できないのでバイトや副業をやって生活している。社会主義一党政治の土台の上に、「年率7%以上の経済成長」を謳い文句に、海外からの金融株式投資がおこなわれ、ベトナムのホーチミンやハノイの一角に、ガラスウォールの高層ビルが威風を放ち、多くのITベンチャー企業が育っている。

一方、田園風景の豊かな地を訪ねると、牛や鶏と共にのどかに生活する人々の暮らしの中で、カメラを向けると集ってくる子供たちの底抜けの笑顔があった。
グローバル・デジタル・金融・格差社会を迎えた21世紀は、「答えのない世界」といわれる。ベトナムの子供たちの目が、輝き続ける未来であることを願いたい。

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