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コラム

第214回

「旧り行くならば大和の言葉を」

大和言葉をご存じだろうか?

漢字が伝来する以前より使われていた言葉である。

「大和の国には神様がいらして言葉の力で幸せになる国」と万葉集の歌にもある程日本人の祖先が、言葉を言霊として受け止めていた頃の言葉である。言霊とは、全ての物の命をいかす役割を持つ言葉という意味を持つ。このような考えから生まれた日本人のDNAでもある大和言葉は実に優美だ。

「旧り行くならば大和の言葉を」

例えば、旧(ふる)は昔のもの、古びる、老いるという意味。

または、ねび人(老人)老いの波(皺の事)‥など。

このように、同じ老齢を語るにも、どこか穏やかで何か心に響く言霊ではなかろうか。

そう、日本人にはこういう優美な物言いが出来る人種の血が流れていると思うと誇らしい気持ちになる。

それにしても、年月には抗えず、同世代はすべからく「ねび人」となり、少子高齢化の日本が抱える大きく面倒な課題の塊にいるが、やがてその大きな塊も限り(臨終、最後)になる上に、少子化も止められない状態では、日本国民が激減することは確定している。

「旧り行くならば大和の言葉を」

なので、なんだかんだあろうがなかろうが、人口問題の解決には、海外の方々を受け入れていくしかない。ということは、この「大和言葉」も完全に消滅していくのだろうか。

しかし、あらゆる国々も、もとは外国との融合であるのだから、地球人という括りであれば言葉や文化の違い等、なるようになるのかもしれないが、それぞれの国にはやはり、維持したい文化というものがある。ここでいう文化は、特に教養あふれる格調高いものに限らず、先祖代々伝承されていく行動や思考のパターンだ。

こればかりは、AIの翻訳機能が充実してきても、その国の文化や風土が瞬時に理解できるとは思えない。なにしろ、森羅万象には、それらを現すその国なりの言葉がある。その言葉の意味と背景を知り、衣食住を共にするくらいの勢いで互いの国の文化を理解しあってこそ新たな国民として国の文化を創造していくものではないだろうか。

未来の片鱗を感じるのは、海外人材を国内外に紹介するチャーミングでエネルギッシュな社長率いる企業が様々な制度の壁を乗り越えながらも成長を続けている事だ。そこで登録されている多くの人材は、日本語検定の上級者が多いという。

大和言葉は敬語によくみられるので、その方々の方が大和言葉をご存じかもしれない。とはいえ、まずは、現在進行形の旧りゆく世代の方々には、使命として日本の文化を、日本の若者は勿論、日本に来られる方々に少しでも伝える事ができるように、大和言葉を見直されてみることをお勧めしたい。

私も、今更ながら流行り言葉や略語を控え「旧りゆくものとして大和言葉」を使うよう心掛けるつもりだ。

日本人の和の心を少数民族になっても大事にしてもらえるように。

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