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コラム

第325回

いつか、帰る場所と時間

人には、必ず「帰る心の場所」や「帰る時間」というものがある。
あるきっかけでそこを訪れたとき、私たちは心安らぐ思いを取り戻すことがある。

先日、共に仕事をした敬愛する命日だった。その日を知った時、共に過ごした時間の記憶が蘇り、記憶の中の過去の自分を見つめ直すこととなった。自分は確かにあの時間の中にあの人といたのだ、と。まだ若く、先輩達に導かれ、空を仰いでいた――そんな日の自分の姿を思い出す。

私たちにとって、「帰ることのできる場所や時間」があるのは、本当に幸せなことだと思う。私が今こうして仕事をしているのも、その多くは私自身が歩んできた時間の中で出会った人たちや出来事が血肉となったからだ。

人は生涯、さまざまな人と出会う。なぜ、あの年のあの時、あの場所にいたのか――そう思うことがある。ほんの数分でも違っていれば、その人と出会うことはなかったかもしれない。
人と人が出会うということは、奇跡のように不思議なことだ。そして人は、人との出会いを通じてしか、自分の運命を受け取ることはできないのだろう。

あの頃、縁もゆかりもなかった私に、なぜあんなにあの人は親切にしてくれたのか―今も答えは見つからない。

若い頃に出会い、応援してくれた人たちは、もうこの世にはいない。それでもひとりひとりの姿を思い浮かべると、笑った顔、怒った顔、嬉しそうな声、酒を飲んで語った声――さまざまな表情や声が鮮やかに蘇る。

私にとって、その人たちと共に過ごした日々は、つい昨日の出来事のように思える。
このコラムを読んでくださった皆さんにとっても、「帰る場所」や「帰る時間」があるのではないだろうか。もしあるなら、このコラムを読み終えた後に、少し思い返していただけたら幸いである。

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