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コラム

第227回

 そこに矜持はあるのか?

縁もゆかりも無い地方の選挙報道に疑問を持ち情報収集しているうちに、報道とは、誰のために何の為の仕事なのかと疑問を覚えた。これまでは、なんとなく一部の偏執的な雑誌等を除き、報道機関とは情報をより迅速に、正確に、かつ公正に伝えることを仕事にしていると思っていた。

ところが、どうにも腑に落ちない内容が、報道機関全般に垣間見えてきた。

最終的には人間が行うことなので、完全に公正とは難しいかもしれないが、あからさまな偏向報道は世間を歪んだ方向に導いてしまう。素直に報道を間にうける事で、無垢な人を悪人と誤解したり、悪法を見逃したり、フェイクニュースを真実と受け止めてしまうかもしれないと思うと歯痒さと情けなさが込み上げてきた。

何が、報道だ、放送局だ、だからオールドメディアだのレガシーメディアだのというレッテルを貼られてしまうのだ。報道人としての矜持が無いのか!報道機関の矜持は国民の知る権利を支える誇りと責任ではなかったのか!!という憤懣の中、改めて仕事に対しての矜持について考えた。

「矜持」といっても、多くの方は社会人なりたての頃は仕事のやり方を覚える事に必死で、どちらかと言えば意地や見栄が勝っていて業績を上げること、より収入を増やすことに夢中では無いだろうか。仕事に対する矜持を持てるまでには経験による自信や自尊心が不可欠ともいえる。

私自身も本当の意味で自分の仕事に対する姿勢に自信を持てるようになったのは、無謀だと思われていた仕事を全うして関わった企業の役に立てたと実感した時からだった気がしている。

という事で偉そうな事を言わせて貰うが、自分の仕事に矜持は持つべきだ。

何故ならば多くの人は、人生の半分は何かしらの仕事、(勤務するだけでなく家事も育児も介護もボランティアも全てにおいて他人や社会に役立つ仕事である)に従事する。 自分の人生の大切な時間を使う、その仕事は自分の一部だ。

だからこそ、今、目の前の仕事に矜持を持って接してほしいと心から願っている。 持ち方は、案外簡単だ。 仕事をすれば、必ず何かしらの判断をせざるを得ない。 そんな時に、今、自分のその判断に矜持はあるか? と、問いかけてみればいいだけだ。

最も、その前提に、自分の仕事とは?何をする仕事なのか、誰のための仕事なのかをしっかりと心に落としている必要があるのだけど。

まさか、自分の仕事が何かをわからないで仕事はしないとは思うが、改めてじっくり考えてみる事もお勧めしたい。

どうせ仕事するなら、前を向いて、揺るぎない自信を持ってやりたいでは無いですか?

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